こんにちは、服部(@FACTDEAL)です。
SNSビジネスを指導している連中を見ていると、自分をさらけ出すことが良しとされる信仰があります。
「ダサい自分も全部さらけ出していこう!」
「そうすることによって共感が得られるんだ!」
的なやつですね。
で、そういうのを思考停止で信じ込んでいる人ってだいたいパターン化しています。
・言いたいことを言い始める
・バカになったフリをしだす
だいたいこの2パターンになりますね。
ネガティブな自分をさらけだしたりブラックな自分をさらけ出す人はごくごく少数です。
簡単に言うと、みんなズル賢く
「よく見られるための自分のさらけ出し方」
をマニュアルのように実践しているだけなんですね。
結局のところ、
「包み隠さずさらけ出している風」
の”良い人ブランディング”の手段でしかないわけです。
SNSで100%さらけ出せる人なんかいませんから。
だって、ネガティブなことを言いだしたり、人を否定、批判したりすると嫌われますからね。
だから、心から本当に言いたいことは言わないし、人間の汚い部分も見せるわけもなく。
でも、本当に声に出して言いたいことって、そういった汚い部分じゃないですか?
だから人は、自分の言いたいことを代弁してズバズバ言ってくれるような人に共感するわけです。
坂上忍さんや梅沢富美男さんがズバズバ言うバイキングの視聴率が高いわけです(笑)
でも、ほとんどの人はそれができません。
だからコミュニティに依存しているエセ起業家たちはみんな同じような発信をしているわけです。
ズバズバ言っているように見えて肝心なところは言わないから言葉に力が無い。
コミュニティの教祖から出てくる言葉は嘘だらけ。
ダサい姿を見せないつもりが、実はダサい姿を見せちゃってるということです。
何が本当に「ダサい」かがわかっていないから。
自分の「ダサい」の定義持っていますか?
そもそも僕はダサい姿を人に見せたくありません。
堂々とさらけ出したくありません。
見せられる相手が大事な人であればあるほど。
それは、僕の「ダサい」の定義が明確だからです。
そんな僕の「ダサい」の定義は3つ。
1.やるやる詐欺
2.人を巻き込む虚飾
3.やらずに諦める
やるやる詐欺はもうそのままですね。
やるやると言っていつまでもやらないことです。
そして人を巻き込む虚飾というのは、単なる自己満で虚飾するのは良いと思いますが、それによって利益を得ることがダサいということです。
簡単に言うと、嘘の見た目や言葉で人を騙して利益を得ることですね。
そしてもう1つは、1歩も踏み出さずにやりたいことを諦めることですね。
1歩踏み出すだけでも見える景色は変わるのに、それからどうするべきか決めれば良いのに、そこすら見ずに諦めるのはダサいと思っています。
それ以外は何でもOKです。
何でもやります。
別に、恥ずかしい姿も、不恰好な姿も、弱音や間違った発言、発信をしてしまうことも、そもそも「ダサいこと」とは全く思っていないので、
さらけ出すまでもない普通の自分なんです。
自分が本当にダサいと思っていることは、大事な人には絶対に見せたくないはずなんですよ。
ましてや、これから大事な人と出逢う可能性が高いSNSなどのビジネスシーンにおいて、ダサい姿を見せるはずもなければそもそも、ダサいことをするはずもないわけで。
なので、
「自分を包み隠さずさらけ出して共感を得よう!」
と言っている指導者や、
「私は自分の全てをさらけ出しています」
と言っている発信者はダサいなと思うわけです。
いやいや、全然さらけ出してないよね、と。
人間、全てをさらけ出せるわけがないよね、と。
本当にダサい姿を見せてしまったら終わりますよ。
ダサい姿を見せたら終わり
例えば、最も大事な人の1人に嫁がいますが、彼女に見せられないのは、まさに上記の3つです。
もうすぐ息子が生まれてくるので、おそらく彼も最も大事な人の1人になるでしょう。
そんな嫁と子どもに見せられない「ダサさ」とは、無様な姿ではないということです。
夫として父親として、お金がないことによって不幸を回避できないような、それこそダサい生活はさせたくないわけですから、そのためには何でもやります。
もし、今の手持ちのビジネスが全て破綻して、新しいチャレンジも全て上手くいかなくて貯金もなくなってしまったら、サラリーマンもするし掛け持ちでバイトもするでしょう。
守るべき家族と生活のために地べたを這ってでも仕事をすることや、そんな姿を見せることは恥ずかしいことではなく。
そんなことよりも圧倒的に「ダサい定義」として
・やるやる詐欺
・人を巻き込む虚飾
・やらずに諦める
という3つが明確に決まっているからです。
マーケティングコンサルタントという仕事柄、人を騙してお金を集めることはできる思います。
わりと簡単に。
でも、それをやってしまったら終わりですし、まさに超絶ダサい姿を見せることになるわけです。
幸せにするすると言っていつまでもしない、がんばると言ってすぐに諦めるということも同様。
洗脳されてダサくなっている
誰かに、
「自分をさらけ出していないのはダサい」
と言われて、発信したくもないことを発信して、さらけ出している”つもり”なっているのは本当のあなたですか?
周りのテンションに合わせて、必死にバカになっている”フリ”をしているのは本当のあなたですか?
「今までのあなたはあなたらしくない」
って、洗脳されているだけじゃないんですか?
さらけ出すどころか、偽りの自分を見せるという超絶ダサい状況になっていませんか?
本当にダサい姿は人に見せたらダメなんですよ。
思考停止でさらけ出しているつもりになる前に、まず「ダサい定義」を決めることをオススメします。
自分の中の「ダサい定義」を事前に決めておいて、自分で自分に誓いましょう
ダサい姿は大事な人には絶対に見せないと。
「この人にはこんなダサい姿は見せたくない」
という、「ダサい定義」と大事な相手がいることで人は強くなれるはずです。
僕もダサい姿は見たくない
コンサルをしていると、それなりに成果は出ているものの、その成果創出のスピードが著しく遅い場合などに
「劣等生ですいません…」
と、自身を卑下するクライアントがいるんですが、そんなことはダサいことでも何でもないんですね。
自分のペースでもがんばれているのであれば。
そんなことよりも
・やるべきことをやらない
・途中で簡単に諦める
ということがダサいわけです。
僕の「ダサい定義」は、当然、他人がそれをしててもダサいと思うわけで、正直、そんなダサい姿は僕は見たくありません。
だからこそ、その辺の価値観が同じような人としか、僕は一緒に仕事をしないのです。
ダメな自分や不恰好な自分をさらけ出すことは、何もダサいことはありません。
愚痴、弱音、自己否定、他人批判、全然OKです。
だから、安心してビジネスの相談をしに来てください。
そして、僕(コンサルタント)という存在が
「この人には絶対にダサい姿を見せたくない」
と思ってもらえる存在になれば良いなと思います。
あなたの「強さ」を醸成する1つの要素になれれば、そんな嬉しいことはないですね。