どうも、服部です(ハットリって誰?)。
尊敬する人の発信を読んで、「これは違うんじゃないか」と感じたら、あなたはどうしますか。
自分より実績がある人だし、きっと自分の理解が足りないんだろうと、引っかかったことまで飲み込んでしまうのか、それとも、今までいいことを言っていたのにガッカリした、と急に距離を置くのか。
僕は、そのどちらにもあまり興味がなくて、むしろ「なんでこの人と自分は、ここで意見が分かれるんだろう?」と考えます。
好きな人や尊敬する人が言っていることを、全部受け入れて真似しようとはしません。
それより、その人と自分との違いを知る方が面白いですからね。
で、ここが大事なんですが、その違いを考えた結果、相手の意見を否定したり批判したりすることになっても、僕の中では、その人へのリスペクトが増すことがあります。
賛同できなかったからこそ、自分ひとりでは出てこなかった考えが生まれるからです。
その人と同じ答えにたどり着けたことよりも、その人のおかげで自分なりの答えを持てたことに価値があるわけで、今日はこの「尊敬する人との違い」を、どう自分の考えに変えていくかという話です。
「その通りです」で終わると、自分が出てこない
好きな人の話って、気持ちよく聞けるんですよね。
自分がモヤモヤしていたことを的確に言語化してくれたり、言いたかったけど言えなかったことを代わりに言ってくれたりすると、「まさにそれです」と言いたくなるし、その言葉を誰かに伝えたくもなるわけです。
ただ、その気持ちよさと、自分で考えたかどうかは別の話で。
相手の言葉を覚えて、同じ場面で同じことを言えるようになっても、そこに自分の判断が入っていなければ、使えるセリフが増えただけなんですよ。
たとえば、尊敬する経営者が「仕事は好きなお客さんだけとやればいい」と言っていたとします(なんか聞いたことある)。
それを聞いて「本当にそうだ」と共感するのは簡単なんですが、じゃぁ、自分にとって好きなお客さんってどういう人なのか、耳の痛いことを言う人はどうするのか、よくしてくれるけど約束を守らない人とも仕事をするのか、と考え始めると、答えが詰まります。
言葉には賛同していたけど、その言葉を使って何を選ぶのかまでは、自分の頭では考えていなかった、ということです。
この状態でその人の発信を真似すると、文章にはもっともらしい主張が並ぶのに、「なぜあなたはそうするんですか」と聞かれた瞬間、「自分」が出てこなくなるんですよね。
毎回、尊敬する人を呼んでこないと説明できない。
それでは、その人の考えを紹介することはできても、自分の考えとして人に渡すことはできません。
共感した時点で考えるのを終えてしまうのであれば、いくらいい話を集めても、自分が何を大事にしているかは曖昧なままなんですよ。
でも、「その通りだ」と感じた理由を、自分が何を選び、何を断るのかまで掘り下げれば、借りた言葉を自分の判断に変えられます。
尊敬する人との違いには、自分の優先順位が出る
一方で、「言っていることはわかるんだけど、自分はそうしないな」と感じたときは、自分の考えを掘るチャンスです。
なぜそうしないのかを説明しようとすると、相手の言葉を借りるだけでは済まなくなるので。
たとえば、事業を大きくしている人が「任せられる仕事は人に任せて、自分は次の事業を作った方がいい」と発信していたとして、そのやり方には納得できるけど、自分は今のお客さんと直接話す仕事を手放したくない、と感じたとします。
そこで「自分は経営者として未熟なんだ」と片付けると、大事な違いを見落とします。
相手は事業を広げることを優先していて、自分は、好きなお客さんの問題に直接関わることを仕事の面白さにしているのかもしれないですからね。
あるいは、本当は事業を広げたいのに、任せて失敗されるのが怖いだけかもしれない。
この二つでは、次にやることが変わります。
前者であれば、直接関わる時間を残すために、他の仕事を任せるという設計になりますが、後者であれば、手放したくないという説明で自分を納得させず、どこまで任せると怖いのかを具体的に確かめる必要があります。
同じ「自分は任せたくない」でも、守りたい価値があるのか、避けたい不安があるのかで、判断は違うわけです。
なので、相手との違いを見つけるというのは、自分の意見を正当化する作業でもありません。
相手が何を優先しているのかと比べることで、自分が守りたい価値と、ただ避けていた不安を見分けられるわけです。
最初は反対していたけど、考えてみたら相手の言う通りだった、でもいいし、考えた結果、やっぱり自分は違う道を選ぶ、でもいい。
同じ結論になったとしても、何を優先してその結論を選んだのかを説明できるのであれば、最初の「この人が言うから正しい」とは、もう中身が違います。
批判を、自分の答えが生まれるところまで進める
もちろん、何でも逆のことを言えば、自分の考えがあることになるわけではありません。
相手が右と言ったから左と言うだけであれば、反対しているつもりでも、行き先を決めているのは相手ですからね。
批判に明確な価値が出るのは、相手の意見をきっかけに、自分が何を選ぶのかが具体的になったときなんですよ。
さっきの「好きなお客さんだけと仕事をする」という話であれば、「好き嫌いで仕事を選ぶなんて甘い」と切り捨てるだけでは、自分がどうお客さんを選ぶかは何も決まりません。
が、好きという言葉の中に、単に話が合うという意味と、意見は違っても約束を守り合えるという意味が混ざっていることに気づいたら、そこから先は考えられます。
話が合うから、一緒に仕事をしたい。
意見は違うけど、約束を守り、必要なことを言い合えるから、一緒に仕事をしたい。
同じ「好き」でも、この二つでは、お客さんを選ぶ理由が違いますよね。
ここを分けて考えると、「好きなお客さん」の定義が変わるし、自分のサービスが誰に向いているのか、どんな関わり方を約束するのかまで変わってくるわけです。
元の発言を繰り返していたときには、そこまで考えていなかったはずです。
僕が、否定や批判であっても新しい何かが生まれると言っているのは、こういうことなんですよね。
誰かの間違いを見つけて満足するために読んでいるわけではなく、その人の考えと自分の考えがぶつかったところから、今まで持っていなかった問いや選択肢が出てくる。
そのためには、相手の主張を都合よく単純化しないことも必要です。
もともと「十分に依頼が来ている人は、お客さんを選べる状態を作ろう」という話をしているのに、「誰でも今すぐイヤな仕事を全部断れ」と言っていることにして批判したら、考えているようで、実際は自分で作った雑な意見を殴っているだけなので。
相手が誰に向けて、どういう状況で言っているのかを読んだ上で、それでも自分が引っかかる部分を残してください。
相手の意見をちゃんと理解することと、それに賛同することは、別々にできます。
以前書いた「誰が言っているか」VS「何を言っているか」でも、好きな人の意見に疑問を持てるかという話をしましたが、今回はそこからさらに、自分はどう考え、何を選ぶのかまで進めたいんですよね。
結論が違うのに、なぜリスペクトが増すのか
尊敬している人に反対することを、その人への裏切りのように捉えると、違和感を持つたびに困ることになります。
相手を好きでいるために自分の意見を引っ込めるか、自分の意見を守るために相手を嫌いになるか、という話になってしまうので。
でも、その二択にする必要なんてないし、僕は、相手に新しい考えを与えてもらったことに感謝します。
それは、相手が言ったことをそのまま採用した場合だけではなく、その人の考えに触れたからこそ、「自分はここを譲りたくないんだ」と気づけた場合も同じです。
たとえば、さっきの仕事を任せる話で、相手の考えを知るまでは、直接お客さんに関わり続ける理由を説明できなかったとします。
それが、相手の合理的なやり方と比べたことで、自分は売上の大きさだけではなく、誰の問題にどう関わっているかも仕事を選ぶ基準にしていた、と言葉にできたのであれば、その発言に触れた意味はかなり大きいですよね。
相手と同じ働き方は選ばなくても、相手のおかげで、自分の働き方を選ぶ理由がはっきりしたんですから。
そうなると、尊敬の中身も具体的になります。
何となく「すごい人だ」と思っていた状態から、この人はここまで徹底して事業の成長を考えている、その選択の厳しさはすごい、ただ自分は別のものも残したい、というふうに、どこを尊敬しているのかを説明できるようになるわけです。
全部に賛同していたときよりも、相手をよく見ているんですよ。
だから僕にとって、批判とリスペクトは矛盾しません。
相手がくれた結論には賛同できなくても、相手がくれた「考えるきっかけ」には感謝できるし、そのきっかけがなければ生まれなかった考えを持てたのであれば、むしろ以前より尊敬する理由が増えるんです。
真似した先に、あなたの判断はあるか
最初にやり方を真似すること自体は、学ぶための入り方として使えます。
ただ、真似したからこそ見えてきた違和感まで消してしまうと、いつまで経っても相手の答えを借り続けることになります。
その人と自分では、持っている能力も、置かれた状況も、一緒に仕事をしたい人も、手放したくないものも違うんですから、同じやり方を続けるだけでは答えが出ない場面が来るわけです。
そのときに、自分には向いていないと投げ出すのか、もっと忠実に真似しなければと自分を押し込むのか、その前に、自分は具体的に何に引っかかっているのかを言葉にしてください。
その場合も「何となく違う」で終わらせず、相手が優先していることを、自分も同じくらい優先したいのか、同じものを手放せるのかまで考えると、変えるべきところが見えてきます。
まだわからないのであれば、無理に立派な反論を作る必要はないし、相手に直接ぶつけて勝つ必要もありません。
大事なのは、違和感を消さずに持ち帰って、自分の仕事や発信で、ひとつでも選び方を変えられるところまで考えることです。
僕のブログも、全部に共感してもらう必要はありません。
感情的にでも「そこは違うんじゃないか」と引っかかったのであれば、その先を考えてもらえればいいし、その結果として、僕とは違う答えが出てきたとしても、この記事を読んだ意味はあります。
すんなり共感できるもの、何も考えずに真似できるものに、大して価値を感じないのは、そこに自分が関わる余地がないからです。
尊敬する人のコピーを増やすより、その人がいたからこそ生まれた、自分の考えを持つ。
僕にとってのリスペクトは、その人と同じことを言うことではなく、その人が与えてくれたものから、自分にしか言えないことを生み出すことなんです。





















