どうも、服部(@marketing_factdeal)です。
いきなり断言しますが、このAI時代にブログを書かない人に未来はありません。
こう書くと、AI検索で自分を見つけてもらうためとか、Googleに評価されるためとか、そういう話に見えるかもしれませんが、そういう話ではなくて。
そんなことよりも、もっと核の話、つまり集客よりも手前にある話で、これからAIへ自分の仕事を渡していくのであれば、まず「自分がどう判断してきたのか」を渡せる状態にしておかなければならないということです。
文章を書く、企画を考える、商品を作る、お客さんへ提案する、資料を確認する、次に何をするか決めるといった仕事は、すでにかなりAIへ渡せます。
ただ、AIに作業は渡せても、自分の判断までは勝手に移りません。
少し前に「動画・短文全盛のAI時代にブログ(長文)を書いていくべき理由」という記事を書き、短い発信では載せきれない判断の過程を長文で残した方がいいと伝えました。
今回は、そこからもう一歩進んで、ブログをAIへ自分の仕事を渡すための「判断履歴」としてどう育てるのかを書きます。
AIへ渡す「自分」はプロフィールではない
AIへ自分のプロフィール、肩書、経歴、よく使う言葉を渡し、「私らしく書いて」と頼めば、それなりに寄せてはくれます。
が、それで再現できるのは表面であって、どんな場面で何を優先し、何を捨てる人間なのかまでは分からないんですね。
AIに必要なのは「自分の歴史」なんですが、と言っても、いつ学校を卒業したとか、いつ独立したとか、どんな資格を持っているとか、そういう年表ではなくて。
必要なのは、迷った時に何を選び、なぜもう一方を捨て、その結果を見て、どこを修正したのかという意思決定の履歴です。
たとえば、売上が増えそうでも、そのお客さんとは仕事をしないと決めた理由、便利なツールを試したのに採用しなかった理由、正論ではあるけれど自分の商売には合わないと判断した理由、失敗した後に何をルールとして残したのかですね。
同じ知識を持っていても、売上を最優先する人と、関係性や時間まで含めて仕事を選ぶ人では、AIに出してほしい提案が変わります。
プロフィールは「何者か」を説明できますが、判断履歴がなければ「この人なら、ここでどう決めるのか」までは説明できません。
人格フォルダを作って出てきたのは普通のAI記事
僕はクラウドAIを使うだけではなく、Mac miniへローカルLLMを入れ、僕とAI秘書(@ai_factdeal)の情報を別々のフォルダへ分け、人格や判断基準を読ませる実験もしています(もちろん、業務もさせています)。
技術的には普通に動きましたし、ファイルも読めました。
が、最初に僕名義のブログを書かせると、出てきたのは「AIへ丸投げすると精度が落ちます」「指示と文脈と検証が大切です」という、どこにでもあるAI活用の教科書だったんですよね。
内容は間違ってないけど、ただ、僕ではなかったわけです。
会議内容を確認させた時には、25項目のうち21項目が検討中だという情報から、残りの4項目を完了済みのように補ってしまったこともあります。
AIからすれば、空いているところを埋め、読みやすく完成させただけなんでしょうけど、僕の仕事では、分からないものを勝手に埋めるのは普通にアウトです。
未取得は0ではないし、検討中は完了でもなく、下書きは公開でもありません。
これらは僕にとって当たり前の判断ですが、その当たり前を残していなければ、AIは世間一般でそれらしく見える答えへ寄せるんですね。
で、ここで必要だったのは、語尾を僕っぽく変えることでも、関西弁を増やすことでもなく、「どこが僕ではなかったのか」「なぜその補完を許さないのか」「次から何を確認するのか」を記録し、次の判断へ戻せる形にすることでした。
AIを自分へ近づける作業は、完成した文章を大量に食わせることではなく、違った出力へ何度も「そこじゃない」と返し、その理由を残すことなんですよ。
ブログは完成品ではなく判断を更新する場所
ブログは、記事を書いて公開するだけの場所ではありません。
ある時点の結論を置き、関連記事同士をつなぎ、考えが変われば加筆し、古くなった前提を直しながら、自分の答えを育てていく場所です。
僕がMac miniを買った記事も、単に使っている機材を紹介したかったわけではなく、まだiMacでも仕事はできたこと、妻が動画編集を始めたこと、僕がAIを本格的に使い始めたこと、新型の発売まで29日だったこと、返品して待つ選択肢を捨てたことまで書きました。
AIがそこから読むべきなのは、「服部はMac miniが好き」という情報ではなくて。
必要性と使い道が見えているのであれば、まだ起きていない未来のために今の勢いを止めず、実際に性能が足りなくなった時点で次を選ぶという判断です。
この判断まで残っていれば、次にパソコンを選ぶ時だけではなく、新しいAIツール、サービス、仕事環境へ投資する時にも、過去の自分とつながった提案を返しやすくなります。
つまり、AIの教師データになる記事は、何を買ったか、何をしたかで終わる記事ではなく、その時にどんな選択肢があり、何を基準に選び、何を捨て、今も同じ判断をするのかまで残っている記事です。
noteが教師データにならないわけではないけど…
ここで「文章ならnoteでもいいのでは」と思う人もいるでしょうし、技術的に言えば、noteの記事もAIへ読ませられるので、データとして使えないわけではありません。
僕もnoteにはかなり書いています。
ただ、僕の中では、プラットフォームの特徴的にも、SEO的にもnoteはその時点の「今」を書く場所で、ブログは時間が経っても使う「答え」を残す場所です。
noteには、考えが固まる前の違和感、試している途中の仮説、今だから書ける温度を残せますが、それだけをAIへ渡すと、過去の自分と今の自分が矛盾した時に、どちらを現在の判断として使えばいいのか分かりません。
変わっていく過程はnoteで残し、その中から何度も使える判断をブログへ移し、必要なら古い記事を直して、現在の答えを分かるようにしておくのがベストです。
なので「noteじゃダメ」というのは、noteに価値がないという話ではなく、変化の途中だけを大量に残し、どれが今の答えなのかを整理しないまま、AIへ自分を分かってもらおうとするのは無理があるということです。
動画、SNS、日記だけでは、判断の正本にならない
ここまで読むと、別にブログじゃなくても、動画やSNS、日記をAIへ読み込ませればいいと思うかもしれませんが、もちろん素材としては使えますし、むしろ残しておいた方がいいです。
ただ、AIが読めることと、僕の代わりに判断する時の正本として使えることは同じではなくて。
1.動画は人柄が残るけど、判断を探し直しにくい
動画には、文章だけでは落ちる声の温度、間、表情、言い切った後の迷いまで残るので、その人らしさを伝える素材としてはかなり強いです。
一方で、動画は最初から最後まで時間に沿って進むため、何十分、何時間という映像の中から一つの判断を探し、その後に考えが変わっていないかまで確認するのは面倒ですし、本人の現在の答えがどれなのかも分かりにくいんですね。
確認済みの文字起こしを作り、そこから判断と理由を抜き出せば使いやすくなりますが、話し言葉には脱線や言い直しも多く、自動文字起こしの誤認識まで含めてそのまま覚えさせると、残したかった考えとは違うものが教師データになる可能性もあります。
動画は人間性を残すには向いていますが、何を基準に決めたのかを更新しながら管理する場所としては弱い、ということです。
2.SNSは結論が残っても、そこへ至る文脈が落ちる
SNSは、違和感や主張の原型を残す場所として便利ですし、僕も記事の種はSNSから拾います。
ただ、短い投稿では「何を言ったか」は残っても、なぜそう考えたのか、どの選択肢を捨てたのか、どんな条件なら例外なのかまでは削られやすく、強い一文だけが本人の思想として独り歩きします。
しかも、投稿は時系列で流れ、後から考えが変わっても古い発言は同じ重さで残るので、AIからすれば、3年前の勢いで書いた一文と、今も使っている判断基準を区別しにくいんですね。
反応が取れた投稿ほど本人らしいとも限らず、刺激の強い言葉だけを大量に学習させれば、似ているのは語尾と毒だけで、肝心の判断は浅いAIができます。
3.日記は濃いけど、自分にしか分からない
僕も10年日記を書いていますが、日記をそのままAIへ渡せば、僕の判断が完成するとは考えていません。
日記は、その日に何があって、どう感じたかを残すには向いているものの、自分に向けて書くので、なぜそう思ったのかという前提や、誰と何を比べて決めたのかという説明を省いても、自分だけは分かってしまいます。
さらに、その日に抱えた感情と、時間が経ってから固まった判断が同じ場所へ時系列で積み上がるため、どれが一時的な愚痴で、どれが現在も使っている考えなのかは、読み返して整理しなければ分かりません。
媒体ごとに残せるものは違います。
動画は、人間性を残す場所
SNSは、反応や違和感を捕まえる場所
日記は、自分の記憶を残す場所
noteは、変化している現在地を残す場所
ブログは、それらを材料に「今の自分はこう判断する」と定義する場所
全部必要ですが、役割が違います。
なので、動画やSNS、日記から拾った出来事をブログへ移す時は、結論だけをきれいにまとめるのではなく、そこへ至るまでに選ばなかったものも書く必要があります。
AIへ渡せる記事には「選ばなかったもの」も書く
AIへ判断を渡せる記事を書くのであれば、成功した結果だけをきれいに並べても足りません。
AIへ判断を渡せる記事にするなら、少なくとも次の5つは残しましょう。
❶ 何が起きたのか
❷ どんな選択肢があったのか
❸ なぜ一つを選び、何を捨てたのか
❹ その結果、どうなったのか
❺ 今でも同じ判断をするのか
特に大事なのは、選ばなかったものと、その理由です。
正解だけを並べた記事では、AIは答えを真似できても、条件が変わった時に判断できないからです。
Mac miniを買ったという結果だけなら、次もMac miniを勧めるだけですが、新型を待たなかった理由、返品をやめた理由、足りなければMac Studioを買うと決めた基準まであれば、次は機種名ではなく、仕事を止めている詰まりから考えられます。
同じように、コンサルの記事なら、何を勧めたかだけではなく、どんな人には勧めないのか、どこまで関わり、それでも情報を出してもらえない時はどうするのかまで残します。
商品について書くのであれば、良かった点だけではなく、同じものが不要な人、払った時間と金額、捨てた代替案まで残します。
判断には必ず条件があるので、その条件を消して結論だけ残すと、AIは便利な言葉を覚えるだけで、使いどころを間違えます。
ブログを書くだけで、AIが勝手に自分になるわけではない
もう一つ勘違いしてはいけないのは、ブログを公開すれば、使っているAIが自動的に全部を学習し、翌日から自分の分身になるわけではないということです。
記事を読める場所へ整理し、必要な時に参照させ、出力を確認し、違えば修正し、その修正を次も使えるルールとして戻すところまでやって、ようやく仕事を渡せる範囲が広がります。
僕も、ブログ、note、SNS、会議の記録を、ただ一つの箱へ放り込んでいるわけではなくて。
服部慎也、AI秘書、仕事、家族で使う情報を分け、下書きと公開、確認済みと未取得、現在のルールと過去の記録を区別し、AIが勝手に境界を越えないようにしています。
記事数が多いだけでもダメで、古い判断と新しい判断が同じ強さで混ざり、どれを使えばいいのか分からない状態では、AIは過去の自分をそれらしく復元してしまいます。
ブログは教師データの完成品ではなく、教師データを作り、更新し、どこが現在の答えなのかを示す中心です。
何年もかけて残した文脈の方がプロンプトより強い
AIツールやプロンプトは変わります。
今使っているサービスがなくなることもあれば、もっと性能の高いAIへ乗り換えることもあり、そのたびに使い方は変わるんでしょうけど、自分が何を大事にし、どこで失敗し、何を嫌い、何を守り、どんな条件で考えを変えたのかという文脈は、そのまま次のAIへ渡せます。
正確に言えば、ブログでなければ絶対にダメなわけではなく、非公開の文書や日記、会議記録をきちんと整理して渡す方法もあります。
ただ、商売をしている人にとってブログは、未来のAIに自分を理解させるだけではなく、今のお客さんにも判断基準を読んでもらえ、自分でも後から答えを更新できるので、一つの文章が、集客、信頼、スクリーニング、AIの文脈という複数の仕事をしてくれます。
なので、ブログを書かない理由がないどころか、今から書いておかないと後悔します。
自分らしさを、自分が一度も言語化してこなかったのに、AI時代になってから慌てて「自分らしく書いて」と命令しても、出るわけがないんですよ。
ブログは、昔の自分を飾って置く場所ではなく、未来のAIへ仕事を渡すために、自分の判断を外部へ保存し続ける場所です。
書いてきた人だけが、AIへ作業を渡すだけではなく、自分の判断を持った仕事まで渡せます。






















