どうも、服部(@marketing_factdeal)です。
AIに記事やSNSの投稿を書かせると、「なんかAIっぽい」「人間味がない」「やっぱり自分で書かないとダメだ」と言う人がいます。
が、情報発信において、文章がAIっぽいかどうかなんて本質ではありません。というか、わりとどうでもいいんですよ。
いかにもAIが好みそうな言い回しや、不自然なほど整った文章、無駄に前向きなまとめ方。そういったクセが気になるのは分かりますし、使っているAIの種類や課金状況によっても、出てくる文章の質には差があります。
ただ、そんなものは設定やプロンプトでどうにでもなります。
本当に問題なのは、言い回しでも、語尾でも、改行でもなく、「思想」です。
文章から、その人の思想が見えるかどうか。
AIに書かせた文章がつまらなくなる最大の理由は、AIが人間ではないからではありません。書かせている人間に、拾うべき思想がないからなんですね。
AIが文章をつまらなくしているわけではない
AIに文章を書かせると、「誰が書いても同じような内容になる」とかよく言われますが、半分は正しくて、半分は間違っています。
何の材料も与えずに、「〇〇について有益な投稿を書いてください」と頼めば、そりゃ同じような文章になります。AIは、世の中でよく言われていることを、それっぽく整理して返すしかありません。
「継続が大切です」
「失敗を恐れず行動しましょう」
「自分らしさを大切にしましょう」
こんな、読んだ瞬間に忘れるゴミみたいな正論が出てくるわけです。
が、それはAIがつまらないのではなく、AIに渡したものがつまらないんですよ。
自分は何を正しいと考えているのか。世の中の常識のどこに違和感を持っているのか。何を見て腹が立つのか。実際の現場で、どんな失敗をして、どんな答えにたどり着いたのか。
そういった材料を何も渡さず、「私らしい文章を書いて」と言われても、AIからすれば「知らんがな」です。
あなたの思想を、AIがまだ拾えていない。もしくは、拾う価値がないほど一般的で浅い。
大体は、このどちらかなんですね。
そもそも、AIを使う前の文章は面白かったのか
AIに書かせた文章を見て、「やっぱり人間が書かないと面白くならない」と言う人に、ちょっと意地悪な質問をしていいですかね。
そもそも、AIを使う前のあなたの文章は、本当に面白かったんですかね?
自分で一文字ずつ入力しただけで、それを「人間味」と呼んでいないでしょうか。誤字脱字があって、話がまとまっておらず、感情のままダラダラ書かれている。それを手作りの温かみみたいに扱われても、読む側からすれば普通にしんどいだけです。
人間が書いた文章だから面白いわけではありません。
その人にしか出せない答えが書かれているから、面白いんですよ。
文章が上手くなくても、考え方が独特な人の発信は読まれます。多少荒くても、「この人はそこを見るのか」「そんな切り方をするのか」と感じる文章には価値があります。
逆に、どれだけ丁寧に書かれていても、どこかで見た正論しか並んでいなければ、読む意味はありません。それは人間が手で書いたAI文章です。
AIを使ったかどうかなんて、読者には関係ないんですね。
名前を隠しても、あなただと分かるか
発信における「自分らしさ」を、言い回しや文章のクセだと思っている人は多いです。
「僕はこの語尾を使う」
「私はひらがなを多めにする」
「短い文章で改行を入れる」
「ちょっと毒のある表現を使う」
もちろん、それも文体の一部ではあります。
ただ、その程度ならAIが一番得意です。過去の文章を何本か渡せば、語尾も、改行も、口癖も、毒の入れ方も簡単に真似できます。
それを自分らしさだと思っているなら、あなたらしさは数分でコピーできるということです。
本当の意味でその人らしい文章は、名前を隠しても分かります。言い回しではなく、「この問題をどう捉えるか」「何を優先するか」「どこで他人と違う答えを出すか」に、その人が出るからですね。
例えば、家族を大切にするという話は誰でもできますが
仕事を犠牲にして家族との時間を増やすのか。
仕事の生産性を高めて家族との時間を作るのか。
子どものために自分の夢を諦めるのか。
子どもに背中を見せるために、自分の夢を追い続けるのか。
どれを選ぶかで、その人の思想が見えます。
「家族を大切にしましょう」では、何も言っていないのと同じです。その言葉を現実の中でどう扱い、何を選び、何を捨てるのか。そこまで書いて初めて、その人の発信になるんですよ。
AIは、書き手の思想を薄めるものではない
AIを通すと個性が消えると言われますが、正確には逆です。
AIは、書き手の中にあるものを拡大(拡張)します。思想がある人が使えば、その思想を分かりやすく、強く、遠くまで届けられる。思想がない人が使えば、どこにでもある一般論が、きれいな文章になって返ってきます。
AIは文章を均一化する道具ではなく、書き手の中身を可視化するフィルターなんですね。
自分で書いているうちは、勢いや言い回しで誤魔化せます。長年使ってきた口癖や、感情を乗せた表現によって、自分には何か特別なことが書けているような気になれます。
ただ、AIに材料を渡して整理させると、余計なものが削ぎ落とされます。その結果、中心に何も残らないことがある。それが怖いんですよ。
AIに書かせたから薄くなったのではありません。AIというフィルターを通したことで、もともと薄かったことが露呈しただけです。
そこを認めたくないから、「AIには魂がない」「やっぱり人間の手で書かなければ伝わらない」と言い始めるんですね。
いや、AIに魂がないのは当たり前なんですよ。魂を入れるのは、使う側の仕事です。
思想とは、立派な理念のことではない
「思想が必要」と言うと、何か壮大な理念や哲学を掲げなければいけないように聞こえるかもしれませんが、別に、そんな大げさな話ではありません。
思想とは、日々の判断に一貫して流れている、自分なりの答えです。
売上と自由なら、どちらを優先するのか。
広く知られることと、少数の人に深く信頼されることなら、どちらを選ぶのか。
お客さんが間違っているときに、機嫌を取るのか、嫌われる可能性があっても伝えるのか。
こういった場面で何を選ぶか。その判断の積み重ねが思想になります。
なので、思想は机に座って考えただけでは生まれません。現場で失敗し、人とぶつかり、損をして、それでも捨てなかったものから生まれるんですね。
借り物の言葉ではダメなんですよ。
「顧客第一」
「自分らしく生きる」
「家族を大切にする」
「挑戦する人を応援する」
どれも立派な言葉ですが、誰でも言えます。
その理念のために、あなたは何を断ったのか。何を失ったのか。どんな場面で、楽な方ではなく面倒な方を選んだのか。
そこまで出て、ようやく思想に重さが生まれます。
AIは、あなたが生きた人生の代わりにはなれません。経験していない失敗も、引き受けていない責任も、実際には持てないからです。
ただ、あなたが現場で出した答えを、文章にすることはできます。
ここを混同してはいけないんですね。
「人間が書くこと」に逃げるな
いつまでも「人間が書くこと」にこだわる意味なんてありません。
文章を人間が書くこと自体に価値があるなら、電卓を使わずに計算し、パソコンを使わずに原稿用紙へ書けばいい。便利な道具によって作業を代替することは、これまでにも散々やってきました。
AIだけを特別扱いして、「ここは人間が守らなければ」と言うのは、単に自分の仕事が奪われるのが怖いだけです。
とはいえ、何もかもAIに丸投げすればいいという話でもありません。
AIに書かせてもいい。構成を考えさせてもいい。言い回しを整えさせてもいいし、自分では思いつかなかった角度を出させてもいいです。
ただ、答えまでAIに考えさせたら、あなたが発信する意味はなくなります。
AIに「〇〇についてどう考えるべきですか」と聞き、その回答を少し自分の口調に直して発信する。そんなものは、あなたの発信ではありません。AIの一般論に、あなたのアイコンを貼りつけただけです。
人間が担当すべきなのは、文字を入力する作業ではなく、何を信じ、何を疑い、どんな答えを出すのか。です。
AI時代だからこそ、答えを書く
これからAIがさらに進化すれば、文章がAIっぽいかどうかなんて誰にも判別できなくなります。文体も、感情も、ユーモアも、かなり自然に再現されるようになるでしょう。
そのとき、「人間らしい文章」を目指してきた人は困ります。人間らしさまでAIが作れるようになるからです。
が、自分の答えを持っている人は困りません。
文章を書く作業をAIに任せても、発信の中心には自分の思想が残ります。むしろ、余計な書く作業から解放されることで、現場に出て、考え、経験し、自分の答えを増やすことに時間を使えるようになります。
AI時代に価値がなくなるのは、文章を書く人ではなく、答えを持たず、文章を書いているだけの人です。
AIに書かせると記事が面白くなくなるのであれば、AIの使い方を見直す前に、自分の中身を見直した方がいいですね。
あなたの思想を、AIが拾えていないのか。
それとも、拾ってみたら何もなかったのか。
厳しいですが、そこから逃げて「やっぱり人間の手で書かなきゃ」と言い続けても、発信は面白くなりません。
文章はAIに書かせればいいんですよ。その代わり、自分の人生から出した答えだけは、AIに明け渡さないことです。
人間が書くべきなのは、文章ではありません。
あなただからこそできる「問い」と、自分で導き出した「答え」です。
























