どうも、服部(@marketing_factdeal)です。
コミュニティへ入って、まだ大して時間も経っていないのに「内輪ノリがキツい」「すでに仲良しグループができていて入りにくい」と言って、すぐに抜ける人がいます。
もちろん、古参メンバーだけで話を回し、初参加の人へ挨拶もせず、過去の文脈を知らないと理解できない話ばかりしているのであれば、主宰者側に問題があります。
新しい人が入れる入口すら用意せず、「馴染めない方が悪い」で終わらせるようなコミュニティは、ただの閉鎖的な集団ですからね。
が、既存メンバー同士が仲良く話している、以前のイベントの話で盛り上がっている、お互いの仕事や性格を分かった上で冗談を言っている…というだけで「内輪ノリ」と切り捨てるのは、完全にズレてるんですよね。
なぜなら、そこにいる人たちは、自分が入る前から時間を使い、何度も顔を合わせ、会話を重ねてきたわけで、その結果として関係性ができているのに、昨日入ってきた自分も今日から同じ温度で扱ってほしいというのは、さすがに都合がよすぎます。
コミュニティの内輪ノリがイヤなんじゃなくて、「すでに関係性がある場所へ、自分から入っていくこと」がイヤなだけなんじゃないですかね。
内輪ノリがないコミュニティは、そもそも死んでいる
そもそも、内輪ノリがまったくないコミュニティなんて、ほぼ動いていないコミュニティです。
誰と誰が話しても当たり障りのない会話しかなく、過去の共通体験もなく、冗談も飛ばず、毎回初対面のような距離感で接する、みたいなコミュニティは、新しい人には入りやすく見えるかもしれません。
が、そこに関係性はなく、ただ人が同じ場所に登録されているだけです。
コミュニティの価値は、主宰者が配る情報だけではなく、メンバー同士が相手の仕事を知り、考え方を知り、「この案件ならあの人に声をかけよう」「この人とこの人をつないだら面白そう」と思えるところまで関係が深くなることにあります。
その関係性が表に出れば、当然、後から入った人には内輪っぽく見えますが、それは排除ではなく、それまで積み重ねてきた時間が見えているだけです。
なので、僕は内輪ノリがあること自体は悪いと思っていません。
むしろ、何年一緒にいても誰も仲良くならず、仕事も生まれず、イベントが終われば全員が無言で帰るコミュニティの方がイヤです。
そんなもん、コミュニティではなく、同じメルマガを読んでいる人の集まりと変わらないですからね。
「受け入れてもらうこと」しか考えていない
内輪ノリを理由にすぐ抜ける人を見ていると、コミュニティを完全にサービスとして捉えていることが多いです。
お金を払ったんだから、主宰者が自分を紹介してくれる。メンバーが話しかけてくれる。自分が分かる話題を振ってくれる。居心地のいい場所を用意してくれる。
要するに、自分は客で、周りは自分を楽しませる側だと思っているんですよね。
もちろん、主宰者には新しい人を迎える責任がありますし、僕も初参加の人が孤立しないように気を配ります。が、主宰者ができるのは入口を作るところまでです。その先で関係を作るのは、本人の仕事です。
名前を覚える
相手の仕事に興味を持つ
分からない話が出たら聞く
イベントへ参加する
誰かが何かを始めたら応援する
自分が役に立てることがあれば手を挙げる
そんな小さな行動を重ねれば、普通に関係はできていきます。
逆に、ずっと壁際で待ち、「誰も話しかけてくれなかった」「自分には合わなかった」と帰る人は、どこのコミュニティへ行っても同じことを繰り返します。
場所を変えれば理想の人間関係が用意されていると思っているのかもしれませんが、そんな場所はありません。
自分の居場所を、完成品として誰かから受け取ろうとしているだけです。
後発で入る力は、そのまま商売の力になる
これって、コミュニティだけの話ではなく、ビジネスの世界にも、すでに内輪があります。
どんな業界にも昔から商売をしている人がいて、取引先との関係があり、お客さんからの信用があり、業界内で使われる言葉や暗黙のルールがあります。
そこへ後から参入して、「すでに有名な人がいる」「既存客が固まっている」「今から入っても自分の場所がない」と言っているのが、いわゆる「市場が飽和している」という言い訳です。
そりゃそうでしょう。誰もいない市場なんて、需要までない可能性の方が高いんですから。
すでに人がいて、関係性があり、一定のルールがある場所へ後から入り、自分の立ち位置を作る。そこで相手に覚えてもらい、「この人に頼みたい」と思ってもらう。これが商売です。
コミュニティの数十人の輪に入ることすらできない人が、何千人、何万人の競合がいる市場で、自分を選んでもらえると思う方が無理がありますよね。
しかも、コミュニティで必要なのは、派手な自己PRではありません。ちゃんと参加し、人の話を聞き、約束を守り、役に立ち、何度も顔を出す。それだけです。商売でも結局、同じことができる人が強いんですよね。
祭りに参加する人から、次の祭りに呼ばれる
コミュニティ(SNSでのつながりも)へ入ったら、誰かがやっている「祭り」には参加した方がいいです。
イベントを開催する、新しい商品を出す、ライブをする、企画を立ち上げる、困っていることを相談する。そういう時に反応し、応援し、できれば実際に足を運ぶということですね。
別に、何でも買えという話ではなくて。自分が興味を持てるもの、自分が無理なく関われるものには、ちゃんと参加した方がいいということです。
「いつか自分も誘ってほしい」と思いながら、他人の企画には一切参加しない人がいます。
人の告知はスルーするのに、自分が告知した時だけ応援してほしい。オフ会には来ないのに、仕事の話が出た時だけ声をかけてほしい。そんな虫のいい話はないんですよ。
人は、自分の祭りに来てくれた人を覚えてるんですね。
企画がまだ小さい時に反応してくれた人、場が温まる前から参加してくれた人、終わった後に感想をくれた人を覚えていて、だから次に何かをやる時、その人の顔が浮かびます。
かわいがられる人や、よく誘われる人は、媚びるのが上手いわけではなく、普段から積極的に人の祭りに参加してるんです。
いつも外から眺めて批評している人より、多少不器用でも中へ入って一緒に汗をかく人の方が、次の機会も呼ばれるというのは、人間関係の話でもありますが、同時に仕事の話でもあります。
主宰者の仕事と、参加者の仕事
とはいえ、すべてを参加者の責任にするのも違います。
主宰者側が古参だけを優遇し、初参加の人へ説明もせず、身内にしか仕事を回さない。新しく入った人が話しても反応せず、古参の発言だけで盛り上がる。これは関係性が深いのではなく、単に運営が下手です。
健全なコミュニティには、内側の濃い関係性と、新しい人が入れる入口の両方が必要です。
仲のいい人同士が仲良くすることを止める必要はありませんが、その輪が完全に閉じていないことは大事だということですね。
主宰者は、新しい人を紹介し、参加できる企画を作り、声を上げやすい空気を作る。既存メンバーは、知らない人へ少しだけ関心を向ける。そして新しく入った人は、「馴染ませてもらう」のを待つのではなく、自分から関わる。
この3つが揃えば、内輪ノリは排他性ではなく、コミュニティの熱量になります。
が、入口を用意してもらった後まで「誰かが自分を輪の中心へ連れていってくれる」と待つのであれば、さすがに「知らんがな」という話です。
内輪ノリを壊すのではなく、自分も内側を作ればいい
コミュニティへ後から入れば、最初は誰だって外側です。
知らない名前が出るし、分からない思い出話もあるし、自分だけ会話のテンポについていけないこともありますが、それは転校生の初日のようなもので、拒絶されているのではなく、まだ共有している時間が少ないというだけです。
そこで「内輪ノリが嫌い」と言って離れるのか、「面白そうだから自分も混ざろう」と一歩入るのか、その差は思っている以上に大きいです。
人間関係も商売も、すでにある輪を外から批評しているだけでは何も始まりませんからね。
参加し、相手を知り、自分も知ってもらい、少しずつ共通の時間を増やしていく。その積み重ねによって、昨日まで外側にいた人が、いつの間にか新しい人を迎える側になります。
内輪ノリを壊して、自分に合わせてもらおうとする必要はなくて、自分も、その内側を作る一人になればいいんですよ。
それができる人は、コミュニティでもかわいがられますし、仕事でも選ばれます。
逆に、完成した居場所を用意してもらえないと何もできない人は、どこへ行っても「自分に合う場所がない」と言い続けることになります。
合う場所がないんじゃなくて、場所へ入る力がないだけかもしれないので、そこは分けて考えた方がいいですね。





















