こんにちは、服部(@FACTDEAL)です。
最近、ずっと違和感を感じている言葉があリまして、それは何かと言うと、
・本質
・真理
という言葉です。
本質
1 物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。「本質に迫る」「本質を見きわめる」
2 哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。
㋐偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
㋑実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。
3 論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のごとき普遍をさす。→実体 →属性 →本体
真理
1 いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。「永遠不変の真理」「真理の探究」
2 哲学で、
㋐思惟と存在あるいは認識と対象との一致。この一致については、いくつかの説がある。
㋑プラグマティズムでは、人間生活において有用な結果をもたらす観念をいう。
3 仏語。真実で永遠不変の理法。真如。
実際、僕も「これは本質です」といった感じで使いますし、Twitterなどで発信していると「それはビジネスの本質ですね」とか「真理ですね」とか言われることもよくあります。
本質とか真理って、いわば 「決まりきっている答え」みたいなもんですよね。
であれば、本質や真理に従って生きていれば、あらゆる人がビジネスにおいても人生においても失敗することなく、成功は約束されているわけです。
が、実際はどうかというと、、、です。
僕の頭の中では、地震のことやそれに関するツイートも関連していて、ちょっと言語化が難しかったんですが、まぁ、わかる人にだけわかってもらえれば良いかなと。
会社員に対して「こんな時に会社に行くな」っていう思いやりもわかるけど、自分の命よりも人の命を優先する仕事や、生活をつなぐ仕事をしてくれている人もいるわけだから、そこはひとまとめにせず、その人たちに心から感謝しないといけないなと思う。
本当の思いやりってそういうことじゃないかなと。
— 服部慎也 (@FACTDEAL) 2018年6月18日
こういう時に
「余震も予測されますし、家族が心配でそばにいたいので今日は会社休んで良いですか?」
って躊躇なく言える環境を手に入れるために副業すれば良いんじゃないかな。「好きなことをして生きていく!」とか「やりたくないことはやらない!」とかじゃなくてさ。
— 服部慎也 (@FACTDEAL) 2018年6月18日
震災の渦中にいる人間は「明日が最後なら」なんて考えてるヒマはない。「家族を守りたい」「日常を取り戻したい」が優先。会社の指示であれ、自分の意思であれ、通勤してる背景にはそういった想いもある。
なので、その行為を「異常」と揶揄するような情報発信は超ナンセンスやしデリカシーが無い。
— 服部慎也 (@FACTDEAL) 2018年6月19日
確かに「明日が最後だとしても会社に行くのか?」ってのは正論ではあるけど、だからこそ会社に向かうんだよ。「家族のために少しでも金残さなきゃ」ってなるわけだからさ。震災の渦中に今から1年後の収入のために動けないって。
その人の命の使い道は他人がどうこう言うことじゃないんだって。
— 服部慎也 (@FACTDEAL) 2018年6月19日
最悪の思考停止ワード
気づいたんですよ。
本質や真理という言葉は、けっこう最悪な思考停止ワードだなということに。
例えば、コンサルの現場において。
スクリーニングの成果もあって、優秀なクライアントが多く、言ったことはバッチリやってくれるんですが、自分で考えるということをしない人がたまにいるんですよね。
で、「このクライアントは何で思考しないんだろう?」と考えた時に、僕が「これがマーケティングの本質なんですよね」とか「ビジネスの本質ですから」とか言っちゃってるからなんだなということに気づいたわけです。
本質であると信じて実践してくれることはありがたいんですが、「なぜそれが本質なのか?」という問いを持てる人は極端に少ないので、人によっては思考停止ワードになっちゃっているんだなと。
成果を出す人って、やっぱり常に問いを持っていて、「何でなんですか?」「質問しても良いですか?」を連発してくれるんですよね。
腹落ちするまでとことん聞いてきてくれるので、「これをこうすればこうなる」ということを理解してから実践してくれるので、当然、成果も出やすいし、つまづいたらすぐわかるので修正も早いです。
自己中思考の根源
さらに言うと、ビジネスの本質を深掘りして理解しようとする人は、思考の次元が違うんですね。
本質を伝えて「はいはい、わかりました」と単なるルール的に捉える人は、「どうやったら儲かるか」といった表層的な部分は理解しているんですが、儲かる根本には「お客さんの満足度がある」というところまで到達しないんですね。
つまり、「どうすればお客さんが喜んでくれるか」を考えてマーケティングやビジネスができないので継続性が無いんです。
問いが無い人は「お客さんにとって」という思考が浅く自己中なんですよ。
なので、僕も、普段からお客さんのことをとことん考えている人以外には、「これは本質です」とか「これは真理です」と伝えることはほとんどなくなりましたね。
一般的には、抽象度が高い方が成果を出せる人は稀で、ほとんどの人は抽象度を落として本質や真理を伝えないとダメだということです。
不変の法則
僕は天邪鬼なところがあるので、「これが本質です」とか「これが真理だ」とか言われても、「そんなわけないでしょ」「それが通用しない時どんな時?」と考えるクセがついています。
良くも悪くも疑り深いんですね。
が、ほとんどの人は尊敬する人や指導してもらう人に「これは本質だから覚えておいてください」とか「これは揺るがない真理だから」とか言われると「わかりました!」となってしまいがちです。
っていうか、僕もそういう時はありました。
これヤバイですよね。
で、権力を得た人や教祖になった人が、急に「本質だ」とか「真理だ」とか言い出す傾向が強いので、なおさら。
これって結局、他の情報や選択肢を排除して、信者を思考停止にするためのポジショントークであって、本質でも真理でも何でもないですからね。
だって、そもそも世の中の唯一の不変の法則って「変わらないものはない」ということですから、本質や真理なんて疑わしいものなんですよ。
じゃぁ、本質や真理はどう捉えるのが良いのかということに関して、僕なりの哲学を。
不変か普遍か
前項で「不変の法則」と言いましたが、大事なのはまさにこの部分で、本質や真理というのは、「不変」と捉えるのか「普遍」と捉えるのかによって思考パターンが変わってきます。
というか、「不変」と捉えると思考停止になるし、「普遍」と捉えると思考の幅が広がるんですね。
例えば、極論ですが、「人はいつか死ぬ」ということを「不変(変わらないこと)」と捉えると、思考停止して「だから好きなことをして生きよう」みたいな最近流行りの自己中思想になります。
なぜなら、自分事として捉える意味合いが強くなるからです。
一方、「普遍(全てに当てはまること)」と捉えるとどうですかね?
全てに当てはまるということは、自分以外にも意識が向くようになるので、「人はいつか死ぬ」から「自分の周りの大事な人もいつか死ぬ」と視野が広がり、「だから大事な人のためにできることをしよう」という思想になります。
利己思考と真逆の利他思考に近くなります。
これはあらゆるパターンで使える本質と真理の捉え方です。
不変(変わらない)だからといって、諦めて「自由にする」という方向に向かうのか、 普遍(全てに当てはまる)と考えて「じゃぁ、その中で自分には何ができるか」という方向に向かうのか。
僕なりの最近の哲学ですが、思考停止せず、自己中にならず、「誰に何ができるか」という思考の転換から、良い商品やサービスを想像するきっかけになれば。