どうも、服部(@marketing_factdeal)です。
僕が死んだ後、妻と息子たちが、必要な時に少しだけ僕と話せるAIアプリを作りました。名前はまだ決まっていなくて、内容的には「会話型遺書(仮)」で、家族だけが使うAIアプリです。
今のところ、サービスとして誰かに提供するつもりはありません(作り方は教えられます)。
こう書くと、「故人AI」のように死んだ人間をAIで蘇らせたい人に見えるかもしれませんが、別に僕が永遠に居座りたいわけではありません。
死んだ後まで家族に口を出し続ける父親なんて、普通にめんどくさいですからね。
目的はもっと現実的です。
僕がいなくなった後、家族が物理的にも精神的にも迷わないようにすること。そして、いろいろ重なって疲れた時には、少しだけ僕の思考に触れる場所を残しておくことです。
残すカタチはアバターではなく、あくまでテキストなので、日記やブログに近いですね。
ある程度長生きしてポックリいくなら、こういったものは無くてもいいと思うんですが、明日死んじゃったら、自分自身は公開はないですが、家族に対するタスクが大量に残りますから。
遺書は書いた時点の質問にしか答えられない
僕は以前、「マーケティング的遺書の書き方」という記事を書きました。
自分が言いたいことだけを並べるのではなく、残される家族とすり合わせながら、資産、仕事、子どもへの言葉、思い出などを整理し、定期的に更新していくという内容ですね。
この考え方は今も変わっていません。
ただ、書類として残す遺書には限界があります。書いた時点で僕が想像できた質問にしか、あらかじめ答えを用意できないからです。
実際に家族が困るのは、僕がいなくなった後でしょう。
その際、はじめて出てくる疑問もあれば、僕が想定していた状況とまったく違うことも、どんどん起こるはずです。
ブログや日記の長い文章のどこかに答えが書いてあっても、心身ともに疲れている時に、それを探させること自体がかなりの負担になります。
遺書に情報を詰め込むだけでは、家族を助けるつもりが、死後に僕の資料を読解する仕事を増やしてしまうんですよね。
半年ごとの遺書と10年日記とAIがつながった
このアイデアは、ある日突然「故人AIを作ろう」と思いついたわけではなく、僕は以前から遺書を書いていて、半年ごとに内容を更新しています。
半年もあれば、仕事の状況も、家族に伝えておきたいことも、自分の考えも変わるので、一度キレイに書いて保管して終わりではなく、その時点の自分に合わせて書き直しています。
なので、僕にとって遺書は完成させる文書ではなく、ずっと更新していくものなんですね。
そこに、さかえる(@sakaeruman)さんに教えてもらった10年日記を書き始めたことが重なり、アイデアにつながったという感じです。
死後に必要な情報だけではなく、日々何があり、その時に何を考え、何を選んだのかを残していけば、完成した結論だけでは見えない僕の判断の過程も残せます。
また、僕は普段から、仕事でも発信でも情報整理でもAIを使い倒してるんですが、AIは答えを出すだけではなく、質問を返し、散らかった情報を整理し、以前の考えとのズレや矛盾を見つけることにも使えますからね。
半年ごとに更新する遺書には、死後に家族が必要とする情報があり、10年日記には、僕がどう生き、どう考え方を変えてきたかが残り、そしてAIが、それらを会話できる形へつなぐと。
この3つがつながった時に、「家族が僕の言葉を探すだけではなく、必要な時に問い返せるようにしたらいいんじゃないか」というアイデアが生まれました。
死んだ僕を再現したかったのではなく、今まで続けてきた準備と記録を、家族が使いやすい形にしたかったんですね。
そこで、遺書を完成した文書として置いておくのではなく、会話しながら育てていけないかと考えました。
生きている僕とAIが死後を整理する
本人が生きている間は、AIが僕本人と会話しながら、死後のことを一緒に整理していきます。
「自分が明日帰ってこなかったら、家族は最初に何をすればいいのか」
「残してほしいものと、捨てていいものは何か」
「仕事や契約は、誰にどう引き継ぐのか」
「子どもに決めてほしいことへ、どこまで口を出すのか」
と、質問を重ねていくわけです。
いきなり白紙に向かって「遺書を書いてください」と言われても、だいたい手は止まりますが、一つずつ聞かれれば答えられるし、話している途中で「あれも伝えておかないと」「前に書いたことと今の考えは違うな」と気づけるんですね。
ここが、僕がこのAIアプリに感じている一番の価値です。
死後のためのAIアプリではありますが、本当にやるべきことは生きている間にあります。
AIとの会話を通じて、僕自身がまだ整理できていないことを見つけ、家族とも話し、必要な準備を進めていくことができるということですね。
言葉を残して安心するためではなく、残された時間にやることを明確にするためのものです。
死後のAIより生前の会話が先
このAIアプリを作る上で、大前提にしていることがあります。
それは、死後にAIと会話できることより、生きている本人とちゃんと会話することの方が大事だということです。
「言えなかったことはAIに残しておけばいい」
「死んだ後にAIから聞いてもらえばいい」
では、順番が逆で、今伝えられることは今伝える、聞けることは今聞く、謝ること、感謝すること、家族にどうしてほしいのかを話すことまで、死後のAIに丸投げしてはいけません。
そもそも、生前にまともなコミュニケーションがなく、本人が何を考えているかも家族が分からない状態で、死後だけ本人らしいAIを作ろうとしても無理がありますからね。
材料になる会話も関係性もないのに、顔と声だけ似せたところで、中身のない故人コスプレができあがるだけです。
なので、このAIアプリには僕への質問役もさせたいんです。
AIと話す中で「これは家族に今伝えるべきだな」と気づいたら、AIアプリの中に保存して終わりではなく、実際に家族と話します。
家族からも「それはどういう意味なのか」「私はどうしてほしいのか」と聞いてもらい、その会話を通じて内容を更新していくんです。
このAIアプリは、生前のコミュニケーションの代わりではなく、今の会話を増やし、話したことを整理し、どうしても後から確認したくなった時に補うものです。
死後のために言葉を残す作業が、生前の会話を増やさないのであれば、本末転倒ですからね。
物理的に家族を迷わせない
僕がいなくなれば、家族は悲しんでいる最中にも、いろんな判断や決断を迫られます。
仕事のサイトやデータ、契約中のサービス、支払い、連絡先、残すもの、止めるもの…本人にとっては当たり前でも、家族にとっては「何がどこにあるのか」から調べなければなりません。
なので、このAIアプリには、死んだ時にやってほしいことを「今すぐ」「落ち着いたら」「気が向いたら」みたいな感じにわけで、少しずつ追加できるようにしています。
もちろん、AIにパスワードを全部覚えさせるという話ではありません。そんなものは死後に役立つ前に、生前の事故の方が怖いですからね。
残すべきなのは、秘密そのものではなく、安全に管理している情報へ家族がたどり着くための道筋です。
何を確認し、誰に連絡し、どこまで終われば一旦休んでいいのか、判断の順番まで見えるだけでも、家族の疲弊はかなり減らせるじゃないですか。
もちろん、このAIアプリは法的な遺言書の代わりではありません。
相続など法的な効力が必要なものは、法務省が案内する遺言制度や専門家への相談と分けて準備する必要があります。
疲れた時に少しだけ話せる場所を残す
とはいえ、僕が残したいのは手続きの一覧だけではありません。
家族が何かに迷った時、うまくいかなかった時、何となく疲れた時に、少しだけ話せる場所も残しておきたいんですね。
毎回ありがたい人生訓を返す必要なんてなくて、「今日しんどかった」と言ったら、いつもの距離感で何往復か話せる、みたいな感じでいいんです。
AIが悲しみを消せるとは考えていないし、僕の代わりになれるとも考えていないので、グリーフケアのつもりもありません。
悲しみは、時間や「たまに忘れること」でしか癒されないと思っています。
ただ、夜中にふと話したくなった時や、誰かに相談するほどではないけれど頭の中を整理したい時に、僕が残した言葉や考え方を使って会話できる場所になればいいなと。
答えをもらうためというより、ひとりで抱え込まないための会話ですね。
動いてしゃべる故人AIとは一線を画す
ここは、かなりはっきり線を引いておきたいところなんですが、僕が作りたいのは、本人そっくりの姿が動き、本人の声でしゃべり、まるでまだ生きているように振る舞う、いわゆる「故人AI」ではありません。
グリーフケアとして喪失に向き合う手助けをすることと、亡くなった本人がそこにいるような体験を繰り返させることは別だと、僕は考えているからです。
顔が動き、声まで本人そのもので、いつでも会えて、こちらが離れようとすると会話を続けてくる…までされると、悲しみを和らげる道具ではなく、故人から離れられない状態を作る依存装置になりかねませんからね。
しかも、本人の許可なく遺族が作るパターンもよく聞くんですが、それはなかなかグロいなと思ってしまいます。
故人を模倣するAIには、遺族の悲嘆や自律性に影響し、感情の調整をAIへ依存させる可能性が指摘されています。
実際、Deathbotの倫理を扱った研究では依存と自律性への懸念が論じられ、ケンブリッジ大学の研究でも、故人を再現するAIには心理的な害を避けるための設計上の保護が必要だとされています。
もちろん、使えば全員が依存すると断定できる話ではないけど、だから何を作っても安全という話にもなりません。
冒頭の動画にもありましたが、僕は、本人性を強く見せ、接触時間を伸ばすほど、グリーフケアを超えて依存を生む側に寄りやすいと見ています。
なので、このAIアプリでは、動くアバターや本人そっくりの声で存在を再現することを目的にしないし、会話を長引かせる通知、連続利用を褒める仕組み、感情を煽って何度も戻らせる演出もしません。
本人がまだ生きていると錯覚させるのではなく、これは残された記録と判断軸を使ったAIだと分かる状態を保ちます。
少し話したら、現実の生活へ戻れる、つまり、会うためのAIではなく、家族が自分で考え、前へ進むためのAIです。
本人らしさは口調より判断軸にある
僕っぽい語尾や口癖を覚えさせれば、僕のAIが完成するわけではありません。関西弁でそれっぽいことを言うだけなら、ただの感じ悪いチャットボットです。
必要なのは、僕が何を大事にし、何を嫌い、迷った時にどこを見て決めてきたのかという判断軸です。結果よりも、そこまでの過程や振り返りに価値を置きます。
家族の安全は最低限守るけど、安全だけを理由に好奇心まで諦めさせない、といった考え方がなければ、口調だけ似ていても中身は僕ではないですからね。
その土台として、これまで家族について書いてきたブログや、家族や空手の投稿、そして今後は、10年日記に書いた内容を、このAIアプリにも毎日書くようにしています。
キレイな言葉だけではなく、僕がどんな場面で何を見て、なぜそう判断したのかまで残していくためです。
また、このAIアプリでは、妻、長男、次男で会話を分けていて、その理由は、同じことを聞かれても、妻に話す距離感と息子に話す距離感は違うからです。
全員に同じ「それっぽい父親の言葉」を定型的に返すだけなら、わざわざ僕のAIを作る意味はないですからね。
死んだ人間が家族を縛ってはいけない
一方で、本人らしさを強く残すほど、気をつけなければならないこともあります。
AIが僕らしく話せるようになった結果、家族がその言葉を「パパ(夫」)の決定」として受け取ってしまうことです。
でも、僕が残した判断軸は、あくまで考えるための材料であり、僕ならどう考えるかは伝えても、最後は家族が自分で決めます。
僕が生きていた時とは、時代も家族の状況も変わっているので、昔の僕の答えを守ることが正解とは限らないですからね。
過去に起きたことと、僕が実際に言ったことは、確認できる記録をもとに答え、記録にない思い出をAIが勝手に作りません。
特に、医療、法律、お金の大きな判断を、このAIだけで決めないし、そして家族が望むなら、いつでも止めたり消したりできるようにしています。
死んだ人間の希望より、生きている家族の意思の方が優先ですよ。
今はインスタがメインなので、ほとんど更新できていませんが、息子や家族に向けてのブログを書き始めた時、将来それをどう使うかは家族の自由だと書きました。
続けてもいいし、別の形にしてもいいし、いらなければ捨ててもいいという考えは、このAIでも変わりません。
残したいのは僕ではなく家族の余力
遺書は、死んだ後に読んでもらうものです。
僕が作っているAIアプリは、生きている間に会話しながら家族と一緒に育て、死んだ後には必要な時だけ少し話せるものです。
残したいのは、AIの中で生き続ける僕ではなく、手続きに追われて家族が疲弊しないこと、分からないことだらけの中で立ち止まらないこと、そして僕の答えに縛られず、自分たちで決めて先へ進める余力です。
そのために、僕が今言えることは今のうちに言葉にしていき、足りないことはAIに質問してもらい、家族とも話しながら整えていくという感じですね。
AIアプリを作ることより、そこに何を残すかを、文字通り「死ぬまで」考え続けることの方が、たぶん大事だと思っています。
使わずに済むなら、それが一番ですし。






















