こんにちは、服部(@FACTDEAL)です。
コピーライティングやブログライティングの指導で、いまだに「語尾は断定形にしよう」みたいなのを見かけるんですが、みなさんはブログとかツイートの語尾ってどうしていますか?
何かこだわりがあったり、意識していることってありますか?
もちろん、個人ブログなのかアフィリエイトサイトなのかなど、誰が何を書くのか状況によって変わってくるとは思うんですが、基本的にはこの考え方はもう古いと思っているんですよね。
というのも、個人ブログでは人間味やキャラが重要になってくることは当然として、アフィリエイトサイトに関しても、読み比べた情報の網羅性がどれも同じようなレベルであれば、執筆者の人間味やキャラが決め手になるからです。
実際、SEOだけでは危機感を感じていて(実際に危機に直面して)、SNSを駆使する“ブロガータイプのアフィリエイター”も増えているじゃないですか。
そんな中で、昔ながらのライティングのセオリーや心理誘導テクニックを愚直に実践するのはいかがなものかなと思っていまして。
ツイートでも書いたんですが、語尾を断定形にしたり強くすること、あるいは主語を大きくして発信することは、もはや炎上狙いのテクニックや心理誘導、マインドコントロールの一部として認知されてきているんですね。
もはや「人を動かしたい」滲み出てる文章なんか誰も最後まで読まんよ。
そんな文章で動かされるのは、発信者ご誰かは関係なく、コピーライティングのテクニックでコロっといっちゃう情弱だけ。
必要なのは強い言葉じゃくて強い理由や根拠。
本来コピーライティングはそれを伝えるためのテクニック。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) December 1, 2019
いや、僕も昔は断定することを意識していましたし、専門家として情報やノウハウを伝える上で「言い切らなければならない」と思っていました。
それが自信や実績の表れであり、読者に対しても「これはこうです」「これはこうするしかない」と断定することが礼儀だと思っていましたし、「中途半端なことは伝えてはいけない」という根本的な考え方は今も変わっていません。
ただ、それはエゴだなと考える部分と、文章として考えた場合、あまりに人間味が無いなと感じるようになって、タブーとされている「〜と思います」「〜かもしれません」といった読み手に余白を与える言葉をあえて意識的に使うようになったんですね。
断定主義は情報発信者のエゴ
コンサルの現場で、ノウハウの信憑性に関して「〜という可能性があります」という確率を表す言葉を使うことは合っても、「〜と思います」「〜かもしれません」といった曖昧な言葉を使うことはありません。
基本的には「これをこうするとこうなります」と言い切りますし、言い切れる情報やノウハウしか伝えません。
だって「このノウハウを使えば上手くいく…と思います」とか「これを実践すれば成果が出る…かしれません」とか言われたらクライアントからしたら「おいおい」ってなるじゃないですか。
ただ、文章となると話はまた別だと思っていて。
文章の場合は論点や読解力など、フォーカスするポイントが読み手次第になってしまい、理解にムラが出たり誤解が起こりやすくなるので、必ずしも断定形が良いのかというそういうわけではありません。
テクニックとして文章の語尾を断定形にするのは、「誰が読んでもこれくらい正しく理解できるだろう」という読み手無視のエゴであり、「どんな時も、どんな場面においても、誰にとってもこれはこうです」という変化無視のエゴなんですね。
彼のツイートがまさに本質を突いていて。
ほんとですね。
むしろ成功体験も仮説の1つとして捉えて発信してる人の方が、その姿勢が見えて信用出来る気がします。 https://t.co/V5VzzbDCdS— シノブ ダイスケ (@sidelines_tw) December 1, 2019
全てこちらの意見に従うような情報弱者を集めてビジネスをしたいのであれば、「これはこうだ!」「異論は認めない!」といった強い言葉や断定形の語尾でゴリゴリいけば良いと思うんですが、そうではない賢いお客さんとビジネスをしたいのであれば、「ちゃんと自分の頭で考える力がある人」に届くような言葉を使うべきなんですよね。
つまり、「今、自信を持って伝えているこの成功事例も仮説の可能性があり、時代、状況、環境、業界、個人によって変わるのでそこは自分で考えてください。私も引き続き追求していきますから。」といったニュアンスを伝えるために、余白形の言葉も大いに使うべきであると。
先ほどもお伝えしたようにコンサルは完全に別で、むしろコンサルの現場で「自分で考えてください」とか言ってたらアホじゃないですか。
コンサルの現場では、時代、状況、環境、業界、個人などに合わせてカスタマイズしてサポートするわけですから、「あとはあなた次第です」なんて対応することはありえないわけです。
もちろん「行動」に関してだけは相手次第にはなりますが、ただ、行動できないのであれば「行動できない原因」も追求していくこともコンサルタントの仕事ですからね。
バランスはこの3つを意識して
結局のところ、今回の「断定形か余白形か」については絶対的解はありません。
Twitterでアンケートを取ってみてもばらつきはありますし、様々な意見が出てくるので、「文章は余白形で書くべきだ」と断定できるものではないということです。
ブログやツイートの語尾は「断定形(言い切り)」と「余白形(思考の促し)」とではどちらが好き(読みやすさ、親しみやすさ、信用性などにおいて)?
★断定形(〜である、〜だ、〜です)
★余白形(〜と思う、〜かもしれない、〜でしょう)
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) December 3, 2019
出現頻度のバランス
キャラの一貫性
発信内容の信憑性
といったことを考えながら、自ら分析&カスタマイズしなければならないということですね。
出現頻度のバランス
文章の語尾を断定形で固めると、戦略的に見られますし、下手をすれば「炎上狙いかな」と思われたりして、それが続くと飽きられて距離を置かれるようになります。
逆に、余白形だけで固めても、文章全体がフワフワしすぎてが自信がなさそうに思われますし、専門家としての権威や信用性を失う可能性が高くなるので、ちゃんと全体のバランスを考えなければならないんですね。
コツとしては、自然にミックスできるようになるまでは断定形の文章の後に補足として余白形の文章を入れると良いです。
例えば、
「筋トレさえがんばっていればダイエットできます(断定)。ただ、食事をおろそかにするとせっかくの筋トレの効果が半減してしまうかもしれません(余白)。」
という伝え方をし、「そういえば、今の自分の食事メニューってどうだっけな?」と自ら考えるように促すということです。
慣れてきたら、文章全体の語尾をチェックして、全体を通して「〜だ」「〜です」ばかりだなと思ったら修正していくわけですが、できれば「語尾を余白形に変える」というリライトはしない方が良いんですね。
なぜなら、本来断定させたいことを無理やり曲げることで文章のニュアンスがおかしくなったり、記事全体が弱くなり「もっとも伝えたいこと」がぼやけてしまったりするからです。
じゃぁ、どうすれば良いのかというと、語尾だけを変えるのではなく「余白形で伝えるべき文章を丸々一文足す」というリライトをすることでバランスが良くなります。
キャラの一貫性
これは、強いキャラだから断定形の方が合っているとか、優しいキャラだから余白形の方が合っているとかいう単純な話ではなく。
もちろん、それがセオリーの場合もありますし、読者がそれを求めているのであればそうするべきなのかもしれませんが、逆の方がキャラを立たせられる場合も往々にしてあるんですね。
例えば、普段、Twitterで強いキャラ(ちょっとオラオラ系とか)の人が、ブログでは「〜した方が良いと思いますよ」と言うとそれは曖昧さではなく「優しさ」になったりしますし、逆に普段おっとりキャラの人が、ブログでは「〜は絶対に〇〇だ!」と言うとそれは圧力ではなく「真の強さ」になったりします。
このあたりはブランディング次第ですね。
キャラの一貫性のために、いついかなる時も同じ口調で発信するのは必ずしも正解ではないですし、そもそもブランディングのためのキャラの一貫性というのは信念やコンセプトの一貫性のことであり、ビジュアルや言葉などは多面性があっても良いですし、その方が魅力的です。
発信内容の信憑性
なんだかんだで重要なのは、発信内容の信憑性、そして独自性ですね。
科学的データや自分が実践したエビデンスなどがあれば、語尾などのニュアンスはどちらでも良いわけです(生理的に好き嫌いはありますが、それはどうにもならない)。
ただ、エビデンスがあったとしてもそれが超常識なことであれば、「〇〇である!」と断定形で伝えるのは「そんなことで今さら何をドヤってんの?」とマイナス効果になりますし、逆に「みなさんご存知だと思いますが、これは〇〇なので△△した方が良いですよ」と余白形で伝えることですんなり腑に落ちたりします。
そもそも内容が無茶苦茶なものは断定形でも余白形でもアウトですが。
なので、断定形でドヤるとしたら、まだあまり人が気づいていない独自の切り口だったり、誰もが気づいているけどなかなか言えないことの代弁などが良いです。
普段話すように書けば良い
ということで、後半ではテクニック部分についても少し話したわけですが、それ以前に書いた本質部分は理解した上で活用するようにしてくださいね。
テクニックだけに走ると、どんな優れた内容の記事を書いても不自然に見えますし、そうなると警戒されるようになって終わりますから。
それにしても、今回の記事はめっちゃ記事を見返しましたよ。
自分のクセはどうかを把握するためにも、どのタイミングで断定形を使っているか、どんな内容を余白形で伝えているかなどを客観的にチェックしました。
で、余白形の語尾は極力使わないように、かつソフトになるように心がけて書いてみたんですが、どう感じられたでしょうか。
僕の場合は、断定のニュアンスをソフトにするために「〜と思います」「〜かもしれません」以外にも「〜ですね」を使うことが多いですし、それは自分でもわかっているので「〜ですね」が続かないように注意しています。
逆に「〜です」が続く時には意図的に「〜ですね」に変えたりしていますね。
あとは、頭に「が」「で」「まぁ」「じゃぁ」をなどつけることでソフトにするようにしていますが、これって普段話す時もこのままなので、話す言葉でそのまま記事を書くと人間味が出たりもします。
余談でしたが参考までに。
Twitterの反応は?
いろんな意見があって面白かったので、Twitterで意見をくれた人のツイートを載せておきますね。
アンケートも明日までやっているので、投票していただくか、あなたの独自の意見も聞かせてもらえるとウレシイです。
ブログ始めた頃にこれらのワードはNGだと聞いて、書いては消してを繰り返してた。
けど、最近はむしろ意識的に使ってる。特に意見が分かれるようなアンニュイな部分は「僕はこう思います。あなたはどうですか?」ってぐらいの方が誠実なんじゃないかと。
個人ブログですし、「思う」のは自由。 https://t.co/iRx9thbfMT
— 丸ゴリ@パパがガッツリ関わる家庭教育 (@maru19840229) December 3, 2019
自然と断定する言葉が出てくる時以外は「~と思います」を使っています。
一時期、断定することを徹底していたのですが、そうすると依存度の高い人が集まって来てしまうので、あまり良くないな…と思って辞めました。 https://t.co/zmA1QM3XrE
— と も ぞ う@ぬいぐるみになりました (@tomozou1804) December 3, 2019
個人的には、キャラに合っていればどちらでも良いかなーと思ってます。
内容がちゃんとしてる(ちゃんとエビデンスが示されていて、ロジカルな文章)であることが一番大事かなと。
内容がめちゃくちゃなのに、強く断定されるとちょっとあれですね。
— 木田よしあき (@kida_yoshiaki) December 3, 2019
私は「〜と思います」は結構使うかも。断定してしまうと、そうだそうだみたいな同意の人の意見ばかりになってしまうし、同意しない人は意見を書きにくい場合があるんですよね。論文や何かの報告等であれば断定でも良いけど、ブログ等個人発信であれば、断定とか本当にどうでもいいかも。 https://t.co/WVcAHFZAnS
— *kaoru (@kaoruchy) December 3, 2019
意見がはっきり定まっていない層を巻き込んで、議論を発散させるのが余白形。
意見がはっきりと決まっている層を呼び込んで、お金に変えていくのが断定形。
ツイッター界隈ではこんなイメージですかねー。
— しもまつさん (@shmmtsan) December 3, 2019
私、キャラに合わせてに入れました。
ただレポートや論文は断定ですね。
ブログは余白。
ツイッターはキャラ。— はるはる/てん子ちゃんの作画のお姉さん🎨🖌️ (@oxgka) December 3, 2019