どうも、服部(@FACTDEAL)です。
書こうかどうか迷ったんですが、この事件は日本のコロナ社会における重要なターニングポイントとになり得ると思ったので、自分自身の思考の整理と備忘録がてら書いておきます。
というか、ちゃんと言語化しておかなければ脳ミソが退化するなと思ったので。
何かというとこのニュースですね。
簡単に言うと、ルールとして観客の声出しが禁止されているフェス(サマーソニック)において、観客に「声を出せ」と煽ったONE OK ROCKのTakaが「ダサイ」と批判され、逆に観客を諭して大人しくライブをしたHYDEが賞賛されているというニュースです。
僕は音楽が好きだし、アマチュアながらもライブもたくさんしていたんですが、こんな状況でのライブは経験がないので、何が絶対的解なのかはわかりません。
が、スタンスとしてはTakaを圧倒的に支持しました(ガーシーの友だちだとか、そういったネガティブな情報は置いといて)。
指示した考え方に関してはTwitterで散々垂れ流したので、興味のある人は漁っていただければ。
Takaの件、フェスじゃなくてワンマンでやれって言われてるけど、フェスでやるから意味あんだろ。
信者だけ集めて言ってもしゃーないやん。不特定多数に向けて「オマエらいい加減目覚ませよ」って言うから意味があんだろ。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) August 22, 2022
批判の声として「今までやってきたことは何だったんだ」っての見るけど、今までやってきたことは何でもなかったんだよとお伝えしたい。
今までマスクしてたから、今まで声出さなかったからフェスが開催されたわけじゃないからなw
先日の阿波踊り批判してんのと変わらん。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) August 22, 2022
言葉は悪いがそういうことなんだよな。2、3年かけて圧倒的負けてんのにそれを「勝ち」って言って納得させる罪は重い。
逆にどんな非常識なアプローチであれ「そうだよなこれだよな、フェスはライブは音楽は」ってオーディエンスに気づかせたTakaの功績は大きい。 https://t.co/PWJkHdMGE7
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) August 24, 2022
ちなみに、ワンオクのライブに関しては、今まで何度かフェスで見たことがあるので熱量や空気感は想像できますが、ラルクやHYDEに関しては、世代ではあったんですが生では一度も見たことがないので想像が及びません。
ミクロで見ているかマクロで見ているか
と、ここまでは音楽的な話に触れたところで、このブログはあくまでマーケティングのブログなので、その辺の視点に関して少し。
というか、Takaを指示した理由を自分なりに掘り下げていったら、ここに辿り着いたという話。
批判コメントの多くは、Takaがダサいだとかガキだとか厨二病がとか言われていて、逆にHYDEは大人だ立派だと言われていたわけですが、僕が感じたのは真逆です。
HYDEの視野が狭くて、Takaの視野の方が広いなと。
いや、視座が高いというか見ている世界が全然違うんだなと感じたわけです。
つまりは、HYDEはフェスの興行や音楽業界のこと、エンタメの生存、コロナ対策といったミクロの視点で見ていて、Takaはもっと大きな世界、要は価値観、人間らしさや音楽の価値、社会の正常性といったマクロの視点で見ているかの違いです。
ミクロ視点で言えば、コミュニティのルールを守り、国や政治に逆らわずにやるべきことをやった、言うべきことを言ったHYDEは完全正解だし、賞賛されるべきでしょう。
が、マクロの視点で考えた場合、ルールそのものを疑い、違和感だらけの国や政治に牙を剥き、自分たちが音楽で表現する場を失うことになったとしても言うべきことを言ったTakaが正解ではないかと思うのです。
まぁ、海外が拠点である彼らなら当然なのかなと。
「ワンオクのTakaが声出し煽ってダサかった」という意見がめっちゃ出てますね。彼はもはや"外タレ"なので、やはり海外でのライブシーンを見て日本だけ「なんでやねん」と感じたんだと思う。賛否両論あるのは仕方ないけど、僕が個人的に思った事は「完全感覚Dreamerを封印するのはやめろ」以上です。
— 餓鬼Иちょ (@pazu_official2) August 21, 2022
サマソニのマネスキン見たけど、声出し煽るどころか観客席突っ込んでるやんw
これが世界の普通。本来のライブ。本来のフェス。
世界のエンタメがどんどん進化してすごいアーティストが世界に出ていっているのに、日本はまた周回遅れになっていくのかい。 pic.twitter.com/wkuSgoUjjN
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) August 24, 2022
言ってしまえば、HYDEのやっていることというのは、学校で子どもたちにマスク着用を義務付けている先生と同じなんですよね。
怖がっている人がいるからマスクをつけましょう、ルールなのでそれに従えない人は排除しましょうと、今までみんなでそうやってガマンしてきたんだから、ここで気を抜かずにもう一息がんばりましょうと。
実にドメスティックというか日本的ですよね。
一方で、今までやってきたことに何か意味はあったのか、3年も同じことをやってきて世界は良くなっているどころか、日本の感染者数は新記録更新で世界の笑いものだけどこのままで良いの?と思考停止している人に再び考える機会を与えたのがTakaです。
結局、正解がわからないまま同じことを繰り返していて、いいかげん次に進まなければならないのに、影響力を持った人間が「同じことを続けましょう」としか言わない風潮に風穴を開けたわけです。
僕もHYDEの言っていることで良い未来がイメージできるなら指示しましたよ。
今回も大人しくして、そしたら来年もフェスが開催できて、そこではマスクも外せて、声も出せてってなるかと言われたらならないじゃないですか。
ロックに限らず、エピックに引っ張られているのはダサくて、やはりビジョンこそが大事で、アーティストも社長も教祖も、そこに行きたいと思わせるものがなければ人は変わらないし、人もついてこないですよね。
ビジョンを持たない大人たち、そしてそれを見ている子どもたちは。来年の夏もきっと炎天下の中マスクをして歩いていますよ。
価値観と信念の上に情報を
マクロで見るかミクロで見るかというのは今にはじまったことではなく、ビジネスやマーケティングでは当たり前のことで、何ならみんな無意識のうちにマクロ思考とミクロ思考を行き来して生きています。
なので、今回の件は考える良いきっかけになったんじゃないかなと思うんですよね。
自分は今、何のために何をしているのかを考えられない人は、どんどん国に飼い慣らせれていき、気がつけば取り返しのつかないことになってしまいますから。
こういう時代なので、マクロ/ミクロどころか、誰かの偏った情報を信じて後悔している人もたくさんいます。
ワクチンを打って亡くなった人、大事な人を亡くした人、逆に「コロナはただの風邪だ」を過剰に信じて重症化し苦しんだ人、亡くなった人など。
マスク警察によって苦しめられている人もいれば、逆にこういった過激なノーマスク派の人間によって苦しめられている人や会社、お店もあるでしょう。
僕もノーマスク派だけど、マスク警察とかと一緒で、こういう発信って「ノーマスク派はヤバイ(危険な)奴」って印象付けるからあんまり良くないと思うんだよな。
飛行機でごねて下ろされる連中と同類に見られる。
マスクをしたい人はすれば良いししたくない人はしないで良い。店も自由で良い。 https://t.co/Mv0TQvQ1yQ
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) August 24, 2022
何が正解で何が間違いか、何が正常で何がトンデモな陰謀論なのか、どんどん判断しにくくなっている時代じゃないですか。
だからこそ、自分で情報を取捨選択し、自分で考え、自分で決断し、自分で行動し、自分でケツを拭かなければならないんですよね。
価値観の話にシフトしていかなければならないというのは、ホントその通りだと思います。
感染予防効果が無いことが明白になったんだから、そろそろこういう思想とか価値観の話にシフトしていかないとダメだと思う。
どんな世界で生きたいか?
子供にどんな世界を残したいか?
もうそういうフェーズになってきてる。 https://t.co/5AEWv4eHks— ゾエ (@zoe770707) August 23, 2022
今回、僕はHydeを叩くことを目的として書いたわけではなく。
ラルクは特別好きなアーティストではないですが、青春真っ只中、バンドブームの際にはよく聴きましたし、カラオケでも歌いました。
どうでも良い話をすると、個人的に、ラルクやGLAYといったポップよりなものより、X、LUNASEA、黒夢といったハードなものが好きだったというだけで、嫌悪とかはありません。
ワンクオクに関しても、歌はレベチだし良い曲も多いと思うのでSpotifyでもよく流していますが、バンドのサウンドが好きなのかというと別にそういうわけではなく。
どちらが大好きでどちらが大嫌いとかはなかったんです。
ただ、マクロで見た場合に覚悟を決めてアクションを起こしたTakaはカッコイイなと思ったし、狭い世界にエンタメやファンを閉じ込め続ける発言をしたHydeはダサいなと感じました。
が、何度も言うように、ミクロで見た場合はHydeがカッコイイし、正解だと思います。
結論としてはどちらが絶対的解とかはなく、マクロの世界を見ているかミクロの世界を見ているかの違いによって何がカッコよくて何がダサいのかは全く変わってくるということです。
その視点に気付かせてくれた2人には感謝ですね。
自分がどんな世界に生きたいか、子どもにどんな未来を残したいか、そういった価値観や信念、思想を明確にした上で「でもマクロで見るとこうだよね、ミクロで見るとこうだよね」という譲歩というか寛容さも持ち合わせていたい、そう考えさせられた事件でした。
そんなマクロの世界を見つつ、ミクロの世界を見ている人にもギリギリ寄り添うTakaのスタンスが「ごめんね」に表されているような気がします。
あなたは今回の件、どう感じましたでしょうか。