どうも、服部(@FACTDEAL)です。
本当の「自由」というのは人のために全力で何かをしているときだというのは、僕の生きる上での指針になっています。
誰かに教えられたというわけでもなく、自分で気づいたことです。
いつかの誰かからのアドバイスによって昇華されたのかもしれませんが、実体験の積み重ねによって、「自由や幸せを感じるときってこういうときなんだなと」わかってしまったというか。
いずれにせよ、自分のために何かをするということには自由も幸せもほとんど感じません。
なので、僕のモットーでもある、
好きなときに
好きな場所で
好きな人と
好きなことを
好きなだけする
というライフスタイルで一番外せないのはやはり「好きな人と」なわけです。
他の何が欠けても良いけど、この「好きな人と」だけは外せないのです(単に寂しがり屋なだけなのかもしれませんが)。
まぁ、この辺りの話は今までも何度もしてきているのですが、今回はもう少し論理的に伝えたいなと思いまして。
自由という思い込み
僕は沖縄が好きでよく旅行に行くのですが、そもそも沖縄のこと好きになったのは嫁が好きだったからです。
嫁が行きたいというから行っただけです。
で、行ってみたら、海もキレイで料理も美味しくて何よりそこに人が好きになったわけですね。
そこから、Xで「沖縄が大好きだ」と公言していたら、リアルでもネット上でも沖縄の人とつながるようになり、会う人会う人みんな優しくて魅力的で才能に溢れているということに気づきました(なぜか常に沖縄にクライアントがいます)。
そうして、さらに、そんな彼ら、彼女らが住む沖縄という場所は本当はどんな場所で、どんな想いで生きているのか、どのようにして育てばそうなるのかなどに深く興味を持つようになったわけです。
他の場所に旅行に行くときもそうで、流行りだからとか、世界遺産があるからとか物理的な目的で行くことはありません。
尊敬している人がいたら、その人がどんな場所で育ったのか、そこで何に触れて生きてきたのかを知りたくてその場所に足を運ぶということが多いです。
実際に好きな人に会いに行ったりと。
これって、誰かの影響を受けて便乗して行動しているわけではなく、言ってしまえば「魂に従っている」状態なんですよ。
SNSで誰かが沖縄旅行をアップしいるのを見て「羨ましい!自分も沖縄に行きたい!」とかではないわけです。
旅行以外のことでもでも同じです。
車を買うときも、嫁が海が好きだから綺麗な青の車にしようと思って選びました。
誰かがフェラーリに乗っているから、「オレもフェラーリに乗ってやるぜ!」なんてアホなことはするはずもなく。
住む場所を選ぶときもそう。
嫁とこれから生まれてくる子どもにとって良い環境であるように考えました。
お金稼ぐこともそう。
誰かが「年収1億円稼いでいるからオレは3億稼いでやるぜ」とかはなく。
嫁や子どもにしてあげたいことや絶対に整えてあげたい環境があるから、そのためにこれだけや稼ぐというのを決めてやっているだけのことです。
誰かが良い車に乗っているから、誰かが良い家に住んでいるから、誰かが良いものを食べているから、だから自分もそれを手に入れたいというのは魂に従っていると言えますかね?
超表面的で信念もないですよね。
もうわかりますよね。
なぜ、自分のために何かをしているときが不自由な状態なのかというと、そもそも自分のやりたいことというのが思い込みである可能性が非常に高いからです。
自分がやりたいことの大半は、誰か他の人がやっているのを見て、自分もそれがやりたいと思ったりそれを手に入れたいと思うことなんですね。
であれば、自分の欲求に従ってそれを手に入れて喜んでいる状態というのは、自由でも何でもなくただの「ピエロ」です。
メディアや著名人、インフルエンサーによって洗脳されているだけです。
なぜお客さんを選ぶのか
一方、誰か好きな人のために一生懸命何かをしているときというのは、自分の欲望や欲求は心には全くありません。
好きな人にプレゼントを選ぶときとか、自分の欲望とか入り込むスキはありますか?
まぁ、誰かを振り向かせたいとかであれば、プレゼントを選ぶときも自分の欲求がギラギラしてるのかもしれませんが。
それはもはや「誰かのために」ではなく自分のためなので。
誰かから何かを言われたわけでもなく、メディアで何か情報を見たわけでもなく、自分が好きだと思う人に対して全力で何かをしている状態こそが自由です。
何の邪念もなく、本当の意味で自分がやりたいことをやっているわけなので。
だから、自分の欲求に従っているときよりも誰かのために何かをしているときの方が何にも縛られていない自由な状態なんです。
僕がお客さんを選ぶ理由もそこにあって、なぜなら好きでもないお客さんと仕事をするのは、そんなものは自由ではないからです。
「ちょっとイヤなお客さんだけど、収入を得るためにガマンガマン…」
とか思いながら仕事するなんて、自由どころか終わっているじゃないですか。
仕事相手やお客さんが好きな人であれば努力とも苦労とも思いませんし、寝食を忘れて何時間働こうが別にしんどくないわけです。
傍から見たら拘束されているように見えますが、心は最高に自由な状態です。
まぁ、身体的な疲労に気付かずに、たまに倒れてしまうこともあるかもしれませんが、こういうスタイルで仕事をしている人には共感してもらえると思いますw
1日1つでも好きな人のために
最初に例を出したように、自分がやりたいことをやっている場合でも、それが自分の魂に従っている場合は限りなく自由に近い状態だと言えるでしょう。
しかし、何らかの外部からの影響を大きく受けけ、それが自分のやりたいことだと思ってやり、瞬間的な自由や幸せを感じているとしたらそれは間違いなく「不自由」です。
その証拠に、それを続けていても幸福感や満足感は長くは続かないはずです。
ただ、残念なことに、子どもの頃から洗脳され続けている僕たちは思い込みだということに気づきません。
良い大人になっても、お金を稼いで好きなことをやることだけが自由で幸せな人生だと勘違いしている人が多いのはそのためです。
本当の自由に気づく方法はただ1つで、好きな人のためだけに何かを全力でしてあげるということです。
本気でやってみれば、それが自分の「思い込み欲求」を消化しているときより自由で幸せだということに気づきますから。
1日1つでも1分でも良いので、好きな人のために全力で何かしてください。
キレイゴトの話でもなんでもないので、自分の欲求を全て捨てろというわけではなく、アクションの柱は「好きな人のために」に置きましょうということです。
誰かに与えられた目標や欲求を追いかけていつもモチベーションが続かない人は、いっそ人のために全力でやる方が良いです。