1995年1月17日5時46分にそれは起こりました。
阪神・淡路大震災です。
今から26年前、当時は僕は高校1年生だったんですが、神戸市東灘区の国道沿いという、かなり被害が激しい場所に住んでいました。
ちょうどこの近くというと衝撃が伝わるでしょうか。
震度7という激しい揺れによって実家は全壊し、気がつくと僕は本棚の下敷きになり、ちょうど頭が挟まれていたんですよね。
当然、まだ寝ていたし、寒かったこともあってガッツリ布団をかぶっていたのでそれがクッションになって助かったのかもしれません。
数件隣の家では人が亡くなっていましたし、知り合いも数名亡くなりました。
僕が住んでいた地域(東灘区)の画像です。
その日から体育館で2週間ほど生活したんですが、学生ということもあり体力は有り余っていたので、人生初のボランティア活動でいろいろなことをしました。
瓦礫の片付けたり、届いた物資を運んだり、食料を配ったり、簡易の棺桶をつくったり。
僕がいた学校の体育館ではないですが、遺体と一緒に生活をしている地域もあり、そういった場所でもお手伝いをしました。
今でもこういう記事を見ると涙が止まりません。
大事な人が生きてくれていること、自分が無事に生きていられることがどんなに有難いことか…そう思いながら今年も5時46分に黙祷をしました。
ビジネスの血が目覚めた日
この話はここで終わっても良いんですが、このブログはマーケティングのことを発信しているブログなので、一応ビジネスの話も少ししておきます。
働き方を含めた、今の僕のライフスタイルや価値観のバックボーンがどのようにしてできあがったのかという部分も含めて。
なぜ家が全壊したにも関わらず、避難所生活がたった2週間で終わったかというと、父親が自分でビジネスをしていて、しかも、人も在庫も抱えないという、極めてリスクの低いビジネスをしていたからなんですね。
震災があった日からちょうど2週間ほどで住居の手配をしてくれて、兵庫県の三田市という場所に家族で引っ越しをしました。
そして、1年後くらいには元の場所に新しい家が建ち、全く元どおりの生活が再開され、生活水準が下がったわけでもなく、生活基盤の何もかもが元どおりに戻りました。
高校生ながらに「なんだこの人はスゲーな」と思いましたし、同時に「自分で仕事しなきゃいかんな」とも思いました。
もちろん、このときはまだ人生や仕事を舐めくさった高校1年生のガキんちょだったんで、ビジネスのことなんて微塵も理解していませんでしたし、何ならミュージシャンになって一発当ててやるつもり満々でしたがw
まぁ、その日からいろんな夢に挫折したりしながらも、今は何とか自分でビジネスをし、家族を守ることができています。
で、ぼんやりとですが、この頃から決めていたんですよね。
どんな仕事をするにしろ、あらゆることを自分でコントロールできるビジネス(当時は「働き方」という解釈)をしなければいかんなと。
家族と普通に暮らすのにも大金がいるのに、不測の事態の際に家族を守るためにはハンパないお金、そしてそこに向き合うための時間がいるんだなと超リアルに体験しました。
お金を稼ぎ続ける理由
僕は、インフルエンサーではなく父親の背中を見てビジネスを学びました。
守るべきものを守るにはやはりお金がいるんだなということも、男としてそのお金を稼がなければいけないんだなということも、全て父親から学んだんですよね。
ビジネスに関する相談は、父親以外には一度もしたことはありません。
もちろん、お金で買えないものもありますが、お金では買えない大事なものを守るために、僕らはお金を稼ぐ必要があるんだと思っています。
それでも守れないときはありますし、どうしようもないときは絶対にありますが、そんなときでも少しでも幸せだったと思ってもらいたいですよね。
僕がまだまだビジネスを続けていきたい理由、お金を稼ぎ続けたい理由はこれです。
ユニクロの柳井さんみたいに資産2兆円とかは全然いらないです。
大事なものを守るためにお金を稼ぎたいし、ホントにどうしようもなくて守れなかったときでも後悔のないようにしてあげたいだけです。
エゴで仕事をすれば良いと思う
働いている意味を深堀りをしていくと、エゴ全開で仕事をしているということに気がつきます。
世の中のためとか、お客さんのためとか、根底にあるものはそこではなく、基本的に家族のためだということですね。
なので、ストレスのない仕事をしたいですし、気の合うお客さんとだけ仕事がしたいです。
幸い、僕はコンサルタントという職業上、同じ価値観を持っている人とだけ仕事ができるので、そういった人とだけ仕事をして収入を得ることができます。
なので「僕は家族の幸せを守るために仕事をしています。なので、あなたもそういうビジネスをしてください。」と堂々と言えます。
そう思えなければお客さんを大事にはできないと思っていますし、その根底があってこそ真剣にお客さんの幸せに寄り添えると思っているので。
これからもその価値観やスタンスは変わりません。
独身の人は、自分の幸せなんてかなぐり捨てて何かに没頭するという時期もあって良いと思います(僕もそういう時期はありました)。
が、そういった経験を経て守るべきものができた人は、お客さんの幸せの前に自分の大事な人の幸せの定義、自分自身の幸せの定義を明確にしてみることをオススメします。
僕は今も大好きな神戸と大阪で仕事をしているので、同じ価値観の人、あるいはこの価値観に共感してくれる人はぜひ一緒に仕事をしましょう。
最高のビジネスパートナー、プライベートでも楽しめる最高の友達になれるはずです。
PS
次男は東日本大震災があった3月11日に生まれたんですが、これも何かの因果ですかね。