今回はコンプレックスとマーケティングについての話で、ビジネスというより生き方を楽にするテクニックについて(最後の方でビジネスの話もします)がメインになるかなと。
何かしらのコンプレックスを抱えていてそれをなかなか払拭できていない人は、メンタル的にもしんどい日々を過ごしていると思うので、その辺の苦しみを排除することができたらなと。
ちなみに、コンプレックスと言えばどんなことが思い浮かびますか?
他人から言われて気づくもの、自分で勝手に思い込んでいるものなどいろいろありますよね。
顔がブサイク、デブ、ムダ毛が多い、ハゲている…などなど「コンプレックス」と呼ばれるものは多数あるわけですが、マーケティングを勉強するとこれらが一括りにできるものではないということがわかります。
一般的な考え方では、これらは「身体的コンプレックス」として一括りにされますが、実は大きく2つに分類されるんですね。
仲間外れが1つだけあるんですが、それが何かわかりますかね?
コンプレックスとは
答えは「デブ」なんですが、マーケティングを学んでいる人にとってはけっこう簡単だったかもしれません。
その理由は、ブサイク、ムダ毛、ハゲといったものは本来人生においてマイナスではないもの、つまり人が勝手に作り上げたマイナスイメージです。
つまり、誰かがコンプレックスと決め付けられたものなんですね。
だって、ブサイクもムダ毛もハゲも生きていく上で困るものではないですし、人に迷惑をかけるものではありません。
人の顔がブサイクかどうかは人それぞれの主観によって決まりますし、体毛が多いか少ないか、ハゲが好きか嫌いかもそうです。
が、デブだけは違います。
もちろん、デブであることが人に迷惑をかけるわけではありませんが、デブ、つまり肥満は健康を害している状態であり、将来的にもリスクがあるので改善する必要があるわけです。
ダイエットブームによって外見的なコンプレックスのイメージが強いですが、本来はコンプレックス以前に生きていく上で支障をきたすものだということですね。
他に口臭や体臭などもそうで、体が異臭を放つということは健康を害している可能性が高いわけです。
コンプレックスの捏造
肥満や体臭のように、健康被害が想定されるものに関してはマーケティング的にはニーズであり、顕在化されるべきものですし、適切な商品やサービスを手に入れて改善すべきです。
が、ブサイク、ムダ毛、ハゲといったものは、企業の販促やマーケティング によって「捏造されたニーズ」であり、それは本来、潜在的にも顕在的にも存在しないニーズなので、ある意味「洗脳」だということです。
恋愛であれば、その顔で良い、ハゲでも良いという人とつながることができれば、改善しなくても幸せになれるんですから。
まぁ、こういう話をすると「オマエに何がわかるんだ」と言う人が一定数現れるんですが「これではダメだ」と思い込んでいる人に何を言ってもムダなんですよね。
僕もコンプレックスを抱えてはいますが、人に話せばきっと「大したことないよ」と言われるでしょうし、そう言われても「アンタにはわからんよ」となるのが関の山です。
自分がコンプレックスだと信じているものなんてそんなもんで、洗脳によってコンプレックスだと思い込んでいるものは、簡単には払拭できないんですよね。
共感しあえない世界
同じコンプレックスを抱えるもの同志、例えば同じハゲ同志であれば共感しあえるとか言いますが、あれはウソです。
美人と結婚できたハゲ仲間が「中身で勝負すれば良いんだよ」と言っても、今度はその中身にコンプレックスを発見しだすんですよね。
今まで同じ境遇にいた人が幸せになると、そうやってどんどん沼にハマっていきます。
あなたほど稼いでないし、面白い話できないし、学歴高くないし…という感じで、相対的な価値観で生きている以上、他人と比べて自分でありもしないコンプレックスを捏造し続けるんです。
そういった弱みにどんどんつけ込んでいくビジネスは少なくないですよね。
コンプレックスを共感しあえる人とつながったりそういったコミュニティに入ったりしても、最初は安心感が得られて良いんですが、比較マインドが消えない限り上記のパターンで苦しみが増えていくだけで。
しかも搾取されていくという。
現実を受け入れる
ここまでの話で、コンプレックスのほとんどは、販促やマーケティングによって作り上げられたものなのでしょうがないという話をしました。
かといって、同じコンプレックスを持つ仲間とつるめば良いのかというと、それは一時的な解決にしかならず、傷の舐め合い、あるいは妬みや劣等感など、新たなコンプレックスを生むことにつながると。
じゃぁ、具体的にどうマーケティングを当てはめれば良いのかという話なんですが、まずは「現実を受け入れる」に尽きます。
現状把握ですね。
自分の中で「洗脳だったのか」と気づいても、自分以外の人の洗脳を解くことはできない、つまりコンプレックスに対する、すでに世間に浸透しているマイナスイメージを消すことは不可能に近いですよね。
世の中の価値観や歴史を変えるくらいの大仕事になるので。
であれば、そもそもそんな世界で生きなくても良いわけです。
コンプレックスがコンプレックスではない世界というのは確かに存在していて、その世界の人はただの個性と思っているどころか、その世界のレベルによっては気にすらしていないわけです。
例えば、男女のカップルが集まるお店ではゲイのカップルはマイノリティ になりますが、ゲイのカップルが集まるお店ではマジョリティに変わります。
それどころか、その世界では、むしろ男女のカップルがマイノリティになるくらいで。
尖るか収まるか
マイノリティとして生きるのかマジョリティとして生きるのかは、現状把握、つまり現実を受け入れないことには次のステップに進めないんですね。
現実を受け入れてこそ「じゃぁ、自分はどうするか」が見えてきます。
世間に浸透しているマイナスイメージを消すことは不可能だと言いましたが、改革を目指してあえてその世界で生きるという道があります。
マーケティングで言うと「尖りまくる」「振り切る」ことで認知してもらうということであり、この戦略を取る場合コンプレックスは武器になるので非常に楽です。
一方で、自分が住むべき世界を見つけたり自分で作ったりして、そこで静かに暮らすという道もあります。
自分が活躍できる市場を見つけるというアクションに似ていますよね。
どちらの道を選ぶにしても、コンプレックスが強烈であればあるほど進みやすいですし、世界も見つけやすいです。
コンプレックスがない人は個性や武器が備わっていないことと同義なので、まずは武器を探すことから始めないといけませんし、自分が属する世界も見つけにくいですし作ることも大変ですからね。
不幸な人が有利な世界
今回はあえてビジネス要素を外しましたが、ビジネスをする上でもコンプレックスがあることは「尖る」と決めるにせよ「世界を作る」にせよ圧倒的に有利なんですよね。
行動してみないことには実感できないと思いますが。
ビジネス的な話を少しすると、誤解を恐れずに言うと、今の世の中は不幸な人が「声さえ上げれば」有利になるようにできています。
24時間テレビのお涙頂戴企画や振り込み詐欺などを見てもわかるように、不幸や不安は武器にしてしまえばお金になりやすいんですよね。
昔は募金くらいしかなかったものが、SNS人口も増えクラファンも一般化してきたのでなおさら。
「こんなコンプレックスを抱えているけど〇〇を成し遂げたい」
「同じコンプレックスを抱える人が安心できる場所を作りたい」
といった感じで、自己中に尖るにせよコミュニティを作るにせよ、圧倒的にお金は集まりやすいことはイメージできるはずです。
コンプレックスからは話はズレますが、刑務所から出てきた人が活躍できていたりしますよね。
悪用はダメですが、コンプレックスは自分の受け取り方次第、そして世間の受け取れせ方次第、つまりマーケティングによっていくらでも人生を輝かせてくれるものになります。
コンプレックスに悩んでいる人、あるいはコンプレックスをビジネスに生かせないか試行錯誤している人はマーケティングを学んでみてください。
変に強みを探そうとするよりコンプレックスと対峙する方が、人生やビジネスのストレスが減り、円滑になっていったりしますから。