少し前の話ですが、今回はこの話をしようかなと。
なんでAKBのCDを何枚も買う人は気持ち悪がられないのにプペルを何回も見る人は気持ち悪がられるのだろう。
なんで秋元康は叩かれないのに西野亮廣は叩かれるのだろう。
これを分析するとなかなか面白いことが見えてくる。そのうちnoteかLINEで書こうか。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) January 17, 2021
映画がいろいろと炎上してたんですが、実際にどんなものか観に行ってみないことには何も語れないなと思って、ネタ収集くらいのノリで僕も観にいきました。
批判にしろ共感にしろ、意見を言うには実際に体験しないとね、ということで。
内容としては、映像もキレイでしたしストーリーもテッパンの三幕構成で「ここで泣かせようとしてるんだろうな」というのもわかりやすかったんですが、最後は信じてついてきた人たちを放置プレイだったので何だかなっていう感じでした。
言ってしまえば、常識を疑えと煽って会社を辞めさせて起業させて、あとは知らん(あとはあなた次第です)みたいな少し前のブロガーブームのような感じでしたね。
まぁ、何を信じてどう進むか、自分の人生をどう動かしていくかは自己責任なので、間違ってはいないんですが。
念のために言っておくと、僕は西野アンチでもなければファンでもないので、西野くんやアンチを叩く目的のそれではありません。
誰にどれだけお金を貢ごうが、別に本人が幸せであればそれで良いと思うので「目を覚ませ!」というつもりもなく、この記事が何か考えるきっかけになれば良いなと思うだけですし、そもそもビジネスやマーケティングの話をしたいので。
というか、僕はどちらかというと西野くんは好きな方です。
えんとつ町のプペルの絵本を読んで絵もストーリーも良いなと思いましたし、絵コンテも買いましたし(価値が上がって高く売れるかなという目論見ですが)。
お子さんがいる知り合いには「絵もストーリーも素敵でしたよ」と、サイン入りの絵本をプレゼントしたりもしました。
まぁ、個人的にはそれよりゴッドタンで見るようなお笑いの西野くんが好きなんですけどね。
で、今回の炎上騒動に関しては個々で調べてほしいんですが、簡単にいうとこういうことですね(ちょっと悪意ある記事ですけどね)。
さらに言うと、鑑賞回数を「○プペ」と言って信者が競い合うみたいな流れがあると(Twitterで「プペ」で検索するといろいろ出てきます)。
で、大事なのはここから何を学ぶかということです。
まぁ、えんとつ町のプペルが「西野亮廣(クリエイター) ▶︎ 映画(作品)」なのに対し、AKBの場合だと「秋元康(クリエイター) ▶︎ AKB(作品①) ▶︎ CD(作品②)」とフェーズもコンテンツも違うので、鬼滅の刃とかを例に挙げた方が良かったのかもしれません。
結論は同じなんですけどね。
いずれにしても、この両者の違いは明確で、結局のところ「コンテンツの購入か経典の布教か」、これが気持ち悪さというか不気味さを醸し出しているわけです。
コンテンツか経典か
AKBのCDを大量に買う人の目的は言うまでもなく「握手券」なので、握手券、あるいは「握手できる権利」というコンテンツを手に入れるためにCDというコンテンツを買います。
もちろん、ファンはダンスや歌も覚えたりしているわけなので、CD(音楽コンテンツ)にも価値を見出しているんでしょうね。
で、その作品自体には秋元康さんの思想もなければAKBのメンバーが伝えたいメッセージ内容が含まれているわけではないので、それはあくまで娯楽作品(コンテンツ)です。
商業音楽というのは曲にしても詞にしてもそういうもんで、先ほど言った鬼滅の刃に関してもそうですよね。
映画館に足を運ぶ人は純粋にコンテンツを楽しんでいますし、特典を手に入れるために何度も映画館に通ったりしています。
もちろん、この作品の中には作者である吾峠呼世晴さんが伝えたいメッセージも含まれているでしょうし、この作者自身に盲信している人もいると思いますがレアケースでしょう。
一方でプペルはと言うと、もはやコンテンツではなく西野教の「経典」と化してしまっているわけです。
よく言えば作者のメッセージが色濃く反映されているアートですが。
「えんとつ町」は夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会の縮図で、『えんとつ町のプペル』は僕自身の物語でもあります。
と本人も言っているように、西野くんの自伝であり思想であり教義であり、それを詰め込んでポップに表現した経典こそがプペルなわけです。
Twitterでは「観に行こうと思ってたけど気持ち悪いからやめた」といったツイートも見かけますが、その嫌悪感を正体はこれです。
純粋に作品として楽しみたかったのに、公開まもなく信者の民度の低さから宗教の経典としてしか認識されなくなってしまったからです。
自己完結か布教か
もう一つのポイントは「自己完結か布教か」ですね。
AKBはオタク文化なので、ファンは自分が好きなものを好きなだけ楽しむという信念で動くので誰にも「自分の好き」を強要しないですし、秋元康さんやAKBのメンバーにインセンティブを求めることもありません。
そして「さすがオタク」というほどマニアックで詳しいんですよね。
一方、プペルはというと、自己完結させるどころか布教活動がハンパないわけです。
まぁ、ビジネスの経験やモラルもない人たちに、チケットの転売の権限を与えちゃってるのが大きな問題でもあるんですが。
ハッシュタグや何度も観に行っているアピールも、作品を多角的に考察して色んな魅力を伝えるためではなく、西野くんや信者仲間からの精神的インセンティブを得るためにやっているのでしょう。
その証拠に、感想は「泣いた」とか「感動した」とかばかりで、コンテンツとしての素晴らしさを脈々と伝えるツイートや記事はほとんどありません。
他の例でもよくあることですが、大抵批判的に見る人やフラットに見る人の方が考察は深く、細かいところまで見ていますよね。
信者の人たちもこのくらいのレベルで考察できると、多くの人に作品の本当の魅力を伝えられるのになと思います。
今は信者を増やすフェーズ
まぁ、ここまででもわかる通り、えんとつ町のプペルという映画は、西野亮廣という教祖を知らしめるための経典(手段)であるということです。
ここに多くの人は違和感や嫌悪感を抱いているのでしょう。
いや、真似したいかどうか、真似できるかどうかは別として、これだけ話題性を作ることができる西野くんはスゴいですよ。
純粋に作品に光を当てれば良かったのになと思うんですが、彼のマーケティング戦略的には、今は作品の評価を得ることよりも、もっともっと信者を増やすフェーズなんだと思います。
地下鉄サリン事件を起こした某カルト教団の入信者って、勧誘からと思いきや本を読んで入信した人がけっこう多いんですよ。
同じような内容の本を次々と量産するホリエモンとかも同じ原理で(本人も言ってるし)。
いかにたくさんのコンテンツ(教典)を世の中にばら撒くかが宗教構築の肝なんです。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) January 17, 2021
この界隈の戦略は、色は違えどカタチは基本的に同じなんですよね。
いやー、よく勉強していると思いますよ。
Appleのリンゴがなぜ囓られているのかをApple信者が推測し広まり、あたかもそれが事実であるかのようになったことがあった。
宗教って一定以上の規模になると信者が勝手に意味づけをし、そしてそれが一人歩きしてあたかも教祖の思想であるかのように広まっていく。
信者が勝手に代弁するパターン。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) January 17, 2021
人を突き動かすスイッチ
炎上している事象に対して便乗して叩くのは簡単ですが、なぜこういったことが起こっているのかを考察するといろいろと学べます。
宗教やマインドコントロールというのはビジネスと密接に関係していますし、特にマインドコントロール(酷い場合は洗脳)というのは、僕らが生まれたときから大人になった今でもずっとついて回ります。
親の躾、学校教育、国の政策、企業の販促など、外部からの影響を受けて自分の考えや行動を変えるのは全てマインドコントロールですからね。
自分や大事な人を守るための術やビジネスで成功する術も、全てこの中に詰まっていると言っても過言ではないわけです。
深くて狭いマーケティングをしたいなら宗教は学んだ方が良い。マインドコントロールも。
言葉が違うだけで仕組みは同じだから。
ただ、スクリーニングせずに規模を大きくしていくと宗教は破滅する。なぜなら信者が暴走するから。
あ、洗脳は違うよ。洗脳は恐怖や暴力で人の心を支配する方法だから。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) January 17, 2021
僕ら日本人の感覚からすると、信仰のために殺人まで行う人たちの気持ちを理解するのは難しいです。
もちろん、一部のカルト宗教以外は殺人を肯定しているわけではありませんが、それでも信仰から殺人にまで至る人たちがいるのは事実ですし、日本でもそういった事件は起こっています。
ビジネスと関係ないと思うかもしれませんが、お客さんからお金をいただくということは人を突き動かす行為であり、人間を相手にしている以上根本要因は同じです。
だからこそビジネスを行う以上は「人をそこまで突き動かすスイッチは何か」の答えを持っている必要があります。
言ってしまえば正しい「信者の作り方」ですね。
目的達成のために不特定多数の信者を集めていると、気がつけば地雷だらけになってしまいますから。
フォロワーさんの考察は
コロナ禍になって二元論をよく見かけるようになりました。
コロナは恐ろしいという人とコロナはデマだという人がいるわけですが、大事なことはどちらか一方を盲信することではなく、自分で調べて自分で答えを出すということです。
日頃から脳の訓練をして思考停止しないようにしておきましょう。
AKBファンは純粋にアイドルに会いたいだけのファン。
西野さんのファンは、インフルエンサーを利用して" 「あわよくば何者かになろう!」という匂いがするので嫌悪感を感じる‥ねずみ講商法に似てますね。
物は良いのに仕組みで人を不幸にする感じが。 https://t.co/xX77TbCaTG— |ryoco|くせ毛特化ヘアデザイナー (@ryoocosato) January 17, 2021
AKBのCDはあくまでアイドルと会うことが目的であり秋元さんではないが、プペルは「何回観たかを競い合い、SNS上でアピールする」みたいな合戦になっている。
AKBのCDを買う人に「秋元さんにアピールしたい!」みたいな人はいないはずだが、プペルには西野さんへのアピールが含まれている。 https://t.co/U25mkj1tBS
— まつ@SEOとか (@arata0_100) January 17, 2021
西野ファンがプペルを何回か観るのと、秋元康はあくまでプロデューサーでアイドルファンがCDを何枚も買う、という違いですかね…。
何回も買って、何との距離を近づけようとしてるか、の違いなのでしょうか。 https://t.co/Mv4S8AhLNF
— 黒川 麻由 | 一枚の絵本画家 (@mayuchinsan2) January 17, 2021
ひとつめ:CDには「握手券」などでメンバーに会えるという具体的なメリットがあるが、複数回プペル見ることには目に見えたメリットがないから
ふたつめ:西野さんから溢れ出てる「充実感」「幸福感」が気に食わないから https://t.co/M9og03ifEJ
— 鈴木友啓📚圧倒的「知性」の獲得を目指して。 (@jiyu7ka) January 17, 2021
ぱっと3つ思いつきました🙄
①アイドルに貢ぐ文化は社会的に十分浸透しているが、インフルエンサーに貢ぐ文化はそうではないから②AKBはグループなので応援しても違和感がないがプペルは西野個人にしか還元されない印象があるから③サロン内で複数チケットを買わせる文化が人々にとって異質だから https://t.co/1Iwt8HPsgo
— うりぼー|となりの起業家 (@marketing_0706) January 17, 2021
統計はないので
あくまで主観で恐縮ですがCD側は(秋元さん側)
あらゆる価値観(オタク文化等)を
認める集団なのに対して
映画側は(西野さん側)そうあるべきと絶対的価値観(自由であるべき)を押し付けている
ように見えやすいから
嫌悪感が生まれるのでは?という推測です!!
— ゆー@エンタメ系データエンジニア志望 (@ROM0202answer) January 17, 2021
お金の力で推しに会いに行くのは自分だけの世界で終了だけど、映画となると作品を熱く語る等他人を巻込みがちだからですかね?推しに関しては興味無い人に話しても仕方ないので。秋元康が叩かれないのは、お金出した分だけ一瞬でも好きな人に会えるので、その成果がちゃんと目に見えるからかな🤔
— *kaoru (@kaoruchy) January 17, 2021
本当にそのコンテンツが好きな人たちが集まっている集団には、嫌悪感は抱かれない。
一方プペルの周りは、プペルを評価している自分すごい、という方々が少なからずいらっしゃるので嫌悪感を感じざるを得ない。プペルを見た回数で競ってるというお話がなおさらそれを際立たせているように感じます。
— ショウタ@YouTube研究家 (@ShoTakumaGO) January 17, 2021