SNSマーケティング

日本のJOKERを生むのは金と権力にしがみつくインフルエンサー

少し前に話題になった映画『JOKER』ですが、京王線の事件の犯人がジョーカーのコスプレをしていたということで再び注目されています。

さすがに今回の事件とジョーカーを結びつけるのはビミョーというか、それはやめてほしいなという感じなんですが、あなたはどう感じたでしょうか。

本人はコスプレではなく私服だと言ってるようですが。

《京王線無差別刺傷》「コスプレじゃなくて私服だ」“ジョーカースーツ”加害者が語った真実 緊迫の車内では「『ボン』と爆発音が…」

ちなみに、今回書いている記事は別のメディアで書いていた過去記事をリライトしたものであり、時代背景の考察はあるものの犯人像を推測するものではありませんし、被害者に会われた方をネタにするものでもありません。

また、今回は映画のネタバレの内容も含まれるので、まだジョーカーを観ようと思っている人は注意してください。

 

記事のタイトルから何となく察する人もいるかもしれませんが、この切り口ではあまり書かれていないと思いますし、僕自身大事にしたい視点だと思ったのでガッツリ書いてみます。

いつもと違ってコラムっぽくなるかもしれませんが、マーケティングやブランディング的な要素は含めているので楽しんでいただければ。

「無敵の人」の誕生秘話

映画の内容に関しては「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」というチャップリンの名言に触れている人も多いように、語るべき点はいろいろとあります。

が、あえていろんな要素を削ぎ落としてヒトコトで言うと「どのようにして“無敵の人”は誕生するのか」という、非常に胸が苦しくなる物語です。

人や社会がいかにして人格を破壊し絶望に追い込んでいくのか。

絶望のきっかけとしては「裏切り」「虐待」「失職」「格差マウント」など、ごく身近にあるもので、それらがホアキン・フェニックスの圧巻の演技力、生々しい演出、美しい映像、音楽などによって人を引き込んだわけです。

ホアキン・フェニックスの何が凄いって、ジョーカーになるまでの変化の過程を、表情や声のトーン、仕草、姿勢、歩き方などで完璧に表現したことであり、それゆえに多くの観客に当事者意識を持たせたことです。

この映画を観た人の感想を調べてみると、ジョーカーに今の自分をや未来の自分の姿を重ね合わせたり、代弁者として讃たりと様々ですが、特に多かったのが「感情移入した」というものでしたね。

番組の生放送中に「いい加減に黙れバカ」くらいの軽い挙動で、拳銃でマーレンの頭をぶち抜いた怪物に感情移入したんです。

まぁ、他の映画と違う点として、映画全体のストーリーでなく、ほぼ主人公(ジョーカー)のストーリーだけにフォーカスしていたので、それがさらにドキュメンタリー感を出し、感情移入できたのではないかなと。

同時進行で複数人のストーリーが進んでいくというものではなかったので。

余談ですが、化粧や衣装が変わったので「悪に変身した」というイメージが強かった人も多いかもしれませんが、僕には、人間が壊れ殻に閉じこもった後、様々な刺激を受けて脱皮し、新しい命が誕生したように見えました。

アメリカでは警戒態勢が強化された

現状の社会と重ね合わせた政治的な感想も見られましたし、実際にアメリカでは過去の事件の影響を考慮して厳戒態勢が敷かれていました。

映画「ジョーカー」公開目前、陸軍とLA市警が警戒 米

ただ、実際に映画を観てみると、思考レベルと釣り合わないくらいジョーカーの行動がぶっ飛びすぎていて、ある意味どこかファンタジー的な要素もあって「これで混乱が起こるか???」というのが正直な感想でした。

さすがに香港はヤバいかなとは思いましたけど。

僕が情報を拾っている限りでは、香港でもジョーカーは上映されているようですが、よく上映されましたね(中国では上映されていなかったみたいです)。

という感じで、日本においてもまだファンタジーな側面があって、政治的な懸念はあまり感じられなかったし重ならなかったんですよね。

じゃぁ、何と重なったか、何を彷彿させたのかというと、僕は「ネット社会」、特に「SNS」における格差、そこから生まれて拡がっていくオフラインの格差、若者〜中年層の絶望でした。

ネットに蔓延するインフルエンサーのおかげで、無敵の人が生まれやすい社会になったなと。

現実を叩きつけられるようになった

格差は昔からありましたし、差別や貧困もありました。

それがネット、特にSNSの盛り上がりによって可視化されるようになり「自分は貧困だ」「自分は底辺だ」「自分は不幸だ」と相対的に認識することが可能になってしまったんですよね。

要は、現実を叩きつけられるようになってしまったんです。

もちろん、テレビにも富裕層や成功者は映し出されていましたが「芸能人」という括りに近いものだったので、嫉妬する人や卑下する人、劣等感に苛まれる人は少なかったはずです。

が、今は自分から情報を取りにいけるので、キーワードで検索をすればいろんな成功者やお金持ちにたどり着けるようになりました。

まぁ、たどり着いたとしても、ほとんどが詐欺的なブランディングによって武装されているものなんですが、多くの人はそれがウソだとは気づけません。

実社会でうだつの上がらない人がSNS上で理想の自分をつくり、それだけでは留まらず、そんな自分に憧れさせてフォロワーやお金を集めて…というのはよく見る光景ですね。

ただ、ウブな人やウソを見抜けない人には、この間まで何者でもなかった人が「成功者」「お金持ち」として目に映るようになるわけです。

知ったときにはすでに億万長者だった孫さんとかジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツとは違い、この間まで自分と同じような状況だった人が、あっという間に自分の手の届かないところに行ってしまった、と感じるんですね。

で、劣等感や焦りを感じ、なんとか自分を変えようとインフルエンサーに近づくと「今の時代は誰でも好きなことで食っていける!あなたもがんばればできる!」と言われ、上機嫌になって行動を起こそうとします。

が、その先にあるほとんどの道は利用されてお金をむしりとられるだけ。

ロバート・デ・ニーロが演じるマーレイがまさにインフルエンサーであり、彼はアーサー(ジョーカー)を単なるネタとして利用しただけでした。

アーサーにテレビ出演を依頼し、笑い者にして番組や自分の手柄にするという構図ですね。

もちろん、そこで逆にホストを利用してチャンスをつかめる人だけが成功者の道を辿ることができるわけですが、素人がそんなマーケティング能力を持ち合わせているはずもなく。

他人がつくった希望に絶望する

この構図ってオンライン、SNSの世界でも繰り返されていますよね。

例えば、インフルエンサーに勇気付けられ、チャンスを求めてオンラインサロンに入ったものの、ひたすらタダ働きさせられて病んで終わるとか。

で、病んで去っていった人間をインフルエンサーは優しくフォローしてくれるのかというと、フォローするどころか「自業自得だ」と言ったり「イカれた客だ」とキチガイ扱いして他のファンと笑い者にして楽しむのが常道で。

アーサーと同じように、唯一の希望が絶望に変わる瞬間です。

インフルエンサーにすがりつく人のほとんどが、宗教にすがる人と同じように、身体的にも精神的にも追い込まれて行き場を失っている可能性が高いんですよね。

他責、依存度が強い人だからこそ他人に救いを求めるわけですから。

で、他責や他人に依存してきた人が、今まで豊かな人生を送れてきているかというと、その可能性は極めて低くて、だから他人が作った希望に依存し、当たり前のように踏みにじられて絶望するんですね。

頭の悪いインフルエンサー

不幸が重なったとはいえ、環境に恵まれなかったとはいえ、勝手に希望を抱き勝手に絶望するのは本人の問題であり、非常にキツい言葉で言うと「自業自得」です。

あくまで全て自分で選択したり、自分が信じたい人を信じてそうなったわけですから。

自分の人生は自分で切り開くしかない、基本的にはそう思います。

が、絶望を助長しているのはインフルエンサーでもあるんじゃないかなと、ジョーカーという映画を観てそう思ったんですね。

全てのインフルエンサーがそうだというわけではなく、弱者を救うフリをして、自分の権力を強大化したい人、あるいはキープしたい人のことがそうで、政治的な話でいくと既得権益を守りたい人ですね。

あるいは、「弱者救済」をコンセプトにしたインフルエンサーが“無敵の人予備軍”を呼び寄せやすくなっているという、時代の現状や変化に気づいていない、単純に頭が悪いだけのパターン。

人生を変えたい人へ
稼ぎたい人へ
幸せになりたい人へ

といった抽象度の高い、いわゆる自己啓発やスピリチュアルをビジネスや情報発信コンセプトに盛り込んでいる人のことですね。

やはり、誰かを「救いたい」とか「オレについてこい」と言う限りは、責任と覚悟が伴うわけで、その責任や覚悟がない人はインフルエンサーになってはいけないんです。

器が伴わない人間が、マーケティングとかマインドコントロールといったスキルを使ってインフルエンサーというポジションに立ってしまってはダメなんですよ。

昨今の政治家を見てもわかりますよね。

スクリーニング(「こういう人は助けられません」などを明言して客層をふるいにかけること)をしなければ必ず、必ず、必ず、“無敵の人予備軍”は集まって来てしまうので。

黒子にならないインフルエンサー

若者を助けたい、社会の役に立ちたいと言っている人ほど、自分が退かないどころか第一線でスポットライトを浴び続け、さらに富と名声とお金を集めようとします。

認知度とお金を集めて壮大な救済プロジェクトをやるでもなく。

そして、その状態が続くとどうなるのかというと、精神的にも物理的にも1人の人間に寄り添えなくなっていき、それが近寄ってきた“無敵の人予備軍”にトドメを刺すんですね。

で、タチが悪いのが、そういった権力誇示願望が強い人たちはワラワラと群れるんです。

有名人同士、インフエルエンサー同士で褒めあって、権力を保ちあって、という姿を見せつけといて、「挑戦すれば誰でもできる」みたいに言うわけですが、それは違うやろっていう話なんですよね。

インフルエンサーが第一線で自分の手柄をアピールでいる限り、スポットライトはインフルエンサーに当たり続けます。

そういった圧倒的な成功、格差を見てさらに絶望していくわけです。

絶望者を減らしたいのであれば、自分が圧倒的成功者であることをひけらかすことや才能ある人間だけを引っ張り上げてインフルエンサー仲間を増やすことは逆効果なんですよ。

絶望者や“無敵の人予備軍”を増やすだけです。

そうではなく、例えば「底辺である人でも自力でそこそこの地位に上がれる」くらいの成功事例じゃないと希望にはなりません。

音楽とかで言うとわかりやすいですかね。

プロデュース業を前面に押し出す人と、ひっそりとプロデュースして「え?これってあの人が作曲してたの?」「え?あの人のプロデュースだったんだ!」と言われる人がいます。

SNSでは前者が顕著ですが、本気で誰かを救いたいのであれば、自力で生き抜く力を与えたいのであれば、インフルエンサーは本来は後者のような裏方にアップデートするべきなんですね。

実際はと言うと「オレが発掘した」「ワイが育てた」「ワタシがコンサルした」「ワシの弟子じゃ」と自分のプロデュース力を誇示し、自分にスポットライトを当てることに必死な人ばかり。

いつまでも権力やお金にしがみついてないで、とっと退いて黒子(プロデュース)に専念しろと言いたいわけです。

僕がインフルエンサーになったら

今回はめちゃくちゃネガティブな内容、視点だったかもしれません。

成功者からしたら「何を甘いこと言ってるんだコイツは」「勝手に希望を持って勝手に絶望してるヤツなんか知らん」と言いたくなるでしょうし、書いている僕もそれに近い感覚です。

ぶっちゃけ書いていてしんどかったです。

ただ、ジョーカーという映画を観たからこそ、このネガティブな視点、書いていてしんどい内容を書いてみようと思えました。

僕はインフルエンサーではありませんが、コンサルタント業として黒子は意識しているので「オレが成功させてやった」「この人が成功したのはオレの手柄だ」みたいな発信は一切しません。

将来、多少の影響力を持つようになったとしてもそのスタンスは続けます。

富と名声という意味で圧倒的成功を手に入れた場合であっても。

もしいつか、特定の弱者を救いたいと思った場合は「自分の対応次第ではジョーカーを生むかもしれない」と肝に銘じ、責任と覚悟を持って発信するでしょう。

まぁ、これ以上の成功は望んでいないので、将来その地点に立つかどうかはわかりませんが。

ただ、インフルエンサーになるのだとしたら、100万人の人にモノを買わせるインフルエンサーではなく、1人の人生、あるいは命を救えるインフルエンサーにはなりたいと思いますね。

最後に(現代のジョーカー)

今回は、ジョーカーという「絶望から生まれた怪物」に思いきり寄り添った視点で書いてみました。

それも過去から現代にかけて。

映画の時代背景ではインフルエンサーという概念は存在していませんし、ニセモノが可視化されることもなかったので、ムダに嫉妬したり消耗したりすることはありませんでした。

インターネットも普及しておらず、市民の敵は政治家か芸能人、富裕層、成功した友人くらいだったので、まだ平和だったのかもしれません。

が、今では大半のニセモノがSNSに溢れ、それを見抜くことは難しくなっている分、ある意味希望やチャンスを感じることは多くなりましたが、同時に恨みを持ったり絶望を感じている人も圧倒的に増えているはずです。

Twitterでは本名や顔もわからない人が、芸能人や政治家並みに影響力を持ち、無責任に弱者を煽る発言をしたり、自分の権力を誇示していたりするわけじゃないですか。

人を絶望させる要素がいくらでも転がっている、めちゃくちゃヤバい世の中だと思いませんか。

そう思ったので「現代のジョーカー」が生まれるとしたらどういったプロセスを踏むか、をイメージしながら書いたわけですが、あなたはジョーカーという人間に何を感じたでしょうか。

あなたが思う真のインフルエンサーとは、どのような資質や魅力を持った人でしょうか。


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