今回はみんな大好きお金の話なんですが、楽して稼ぐとかお金持ちブランディングとか、そういうアヤシイ類の話ではありません。
楽して稼ぐ方法はありませんが、正しいお金持ちブランディングの方法についてはこちらでの記事でマジメに書いているので、アヤシイ系の話に興味がある人はぜひ。
じゃあ何の話をするのかというと、お金と幸せに関する話です。
長年コンサルをしてきて、それなりに大きな収入を得た社長やフリーランスを見てきた中で、だいたい2パターンの道を進んでいくことが多いんですが、そのことと幸せの関係性について書いておこうかなと思います。
別にどちらかが「絶対に幸せ」とかではないので、自分はどっちの道に進みたいのかなということを想像しながら読んでいただければと思います。
すでにそこそこ稼いでいる人も、これから稼ごうと思っている人もぜひ。
なお、今回の記事は音声配信を書き起こしたものなので、作業しながら聴き流したいという人はスタエフをフォローしてダラダラ聴いていていただければ。
お金を持った人の2つの行き先
よく「大金を持つと人は変わる」と言われるんですが、これは基本的に「良くない方向に変わる」ことを指していることが多いですし、世間的にもそういう印象だと思います。
一方で「人間的にできている人は大金を持っても変わらない」と言う人もいるわけですが、これなんてまさに「大半の人はお金を持つと良くない方向に進む」という前提があるからこその思考というか固定観念というか。
で、持論なんですが「良くも悪くも大金を持つと人は必ず変わる」というのが僕の考え方です。
この「良くも(悪くも)」というのがポイントで、お金を持つことで良い方向に変わる人もいるということですね(当たり前ですけど)。
少なくとも僕の周りにいる人は、お金を稼ぐことによって良い方向に変わっていっている人ばかりなので、持論とはいえモデルが何人もいるので自信を持って言えます。
それを踏まえた上で、じゃぁどう変わるのか(2パターンに分かれていくのか)ということと、そに原因についても追求していきます。
まず2パターンの話から先にしておこうと思うんですが、結論から言うと、大きなお金を稼ぐことによって
幸せに鈍感になる人
幸せに敏感になる人
という2パターンに分かれていくんですね。
幸せに鈍感になる人
まず「幸せに鈍感になる人」なんですが、自分が所属するクラスタによっても目にする割合は変わってくると思うんですが、Twitterを含むSNS界隈ではこのパターンの人をよく目にします。
幸せに対して鈍感になる人、言い方を変えると幸せに対して不感症になる人、あるいは幸せの定義が「(承認)欲求を満たすこと」だったりするがゆえに、幸せを感じるハードルがどんどん上がっていく人ですね。
これを僕は「お金の使い方にセンスがない」と表現します。
なぜ「センス」と言うのかというと、お金を稼げるということはお金を増やしていけるということでもあるので、お金を使う能力はあると思うと思うんですが、ただセンスがあるのかというとそれはビミョーだからです。
ちなみに、センスの定義はこんな感じで認識していただければ。
センス(sense)
人それぞれの内面にある感覚的なもので、感じ方、理解の仕方、あるいは表現の仕方に現われ出るもの。特に、ちょっとした行為や微妙な事柄についていう。「センスのある服装」「音楽的センス」など。
例えば、カメラを使いこなす能力はあったとしても、だからといってセンスの良い写真を撮れるかというとそうじゃないじゃないですか。
テンプレ的な構図に当てはめるのではなく、自分の内面と向き合ったり、被写体とコミュニケーションを撮って良い表情や空気感を写真に収められる人がセンスが良いわけです(少なくとも僕はそう思っています)。
お金に関しても同じで、センスがない人は「世間一般的なテンプレ金持ち像」を追いかけるんですが、どこかで「センスはお金で買えると」と思っている節があるんですね。
なので、どれだけお金を持っていてもダサい人はダサいじゃないですか。
それと同じ感覚で「幸せはお金で買える」と思っていて、基本的に「他人よりも高級な物質」を手に入れることで幸せになれると思っているんですね。
言ってしまえば、承認欲求を満たすことに幸せを感じているので、自分の中の「本当の幸せは何か?」を定義することなく、生活水準を上げて浪費していくしかないわけです。
物欲や承認欲求に従っているわけなので、一瞬は本当に幸せを感じているとは思うんですが、オタク的なコレクターとして所有欲を満たしているとかではない限り、その幸せは一瞬で消えてしまいますよね。
こうなるともう疲弊していくことは目に見えていますし、実際に成金ラットレースから抜けられなくなっている人はSNSでよく見かけます。
幸せに敏感になる人
一方で、お金持つことで幸せに対して敏感になる人がいます。
お金を持つことで、時間にも心にも余裕を持つことできますから、過酷な労働環境等によって、忙殺されて見落としていた「ありふれた幸せ」に気づくことができるようになるんですね。
そういった人は、その「ありふれた幸せ」を守るためにお金を使うようになります。
例えば、家族との時間が何よりも幸せだと気づいた人は、家族との時間を確保するためにお金で解決するというアクションと取ったり、子どもの成長を感じることが幸せだと気づいた人は、そのための経験や思い出作りにお金を使ったりします。
そうすることで、結果的に大事な人と共有する時間が増えるので、連鎖的にさらにいろんな幸せに気づいていくんですね。
何かを学ぶときというのは、知れば知るほどわからないことが増えていくので、それに関連することに興味を持ってもっと多角的に追求したくなったりすると思うんですが、それと似たような感覚かも知れません。
自分にとって、家族にとって「幸せとは何だろう」と考えているうちに、いろんな(小さくてありふれた)幸せに気づけるようになるということです。
幸せに気づけるようになると、どんな幸せを守るためにどのくらい稼げば良いのかも明確になるので、ムダに働いたり稼いだりする必要がなくなり、人生のコスパも良くなります。
逆に、自分の漠然とした欲求を追いかけていると、何にお金を使うためにどのくらいお金を稼げば良いのかが常にわからなくなり、労働に際限がなくなるので、お金は集まるけど人生はハードで空虚なものになってしまいがちです。
僕もセンスなかったんです
これは僕も経験があるんですが、お金を稼ぐことに必死で仕事が忙しかったときは、幸せをお金で買おうとしていました。
妻にクレジットカードを渡して、なんでもかんでも任せていたときがあったんですが、そのときは「家族に不自由させてないオレスゲー」とか「良い暮らしをさせてあげてるオレスゲー」とか思っていたわけですよ。
アホですよね、センスなかったんですよ。
妻も、忙しいことは理解してくれていた(と思う、いや思いたいw)ので、家族関係が悪くなるとかはなかったんですが、家族とそんな薄っぺらい関わり方しかしていないわけですから、当然小さな幸せなんかに気づくはずがなく。
例えば、子どものことに関しても「ハル(息子)がこんなことできるようになったよー」と報告をもらうばかりで、自分の目で息子の成長を確認して喜ぶというのは少なかったわけです。
まぁ、僕の場合は、もともと「裕福な生活=幸せ」だとは思っていなかったですし、物欲や生活水準を上げたい欲求もなく、単純に仕事が好きでそうなっていたというのが大きいので、幸せの鈍感のなり方は少し違いますが。
で、自分のセンスのなさに気づいたのは、けっこう偶然だったんですよね。
妻が二人目を妊娠したときに、切迫早産で1ヶ月くらい入院していて、3歳の長男と2人だけで1ヶ月間生活することになったんですが、そのときにもういろいろ気づきまして。
息子がこんな表情するんだとか、こんなことに怒るんだとか、こんなことできるんだとか。
病院が遠かったのと、コロナで病室での面会も許されてなかったので、たった数分家族でハグできることがこんなに幸せだったのかとか、めちゃくちゃたくさんの小さな幸せに気づけました。
とまぁ、最後はちょっと自分語り入ってしまいましたが、やはり、お金や起業、ビジネスをすることってけっこう魔物で、世間様に胸を張れるビジネスをして稼ぐっていう、稼ぎ方も大事なんですが、やはり使い方というか、大きなお金を手にしたときの使い方こそが大事で。
もともと自分の価値観や芯をしっかり持っていて、何のためにビジネスを稼ぐのかが明確で常にブレない人は良いんですよ。
が、ただ単に欲しいものがあるとか、お金稼げるとカッコイイからとか、豪遊したいからとか、もちろんそういう下世話な欲求に従って行動することで成果が出やすくなるのも確かなんですが、それだけだとお金を持ったときに良からぬ方向に行く可能性が高くなります。
気づかせてくれる人とかが周りにいないと、けっこうヤバいと思っているので、ぜひその辺は気をつけていただければなと。