こんにちは、服部(@FACTDEAL)です。
なんか、「天才」っていうと生まれた時から決まっている、みたいなイメージあるじゃないですか。
その名の通り、天性の才能ってことなので、ウィキペディアを見ても、先天的なものであるという認識は僕らが普段思っているのと相違ありません。
天才(てんさい)とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである。天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。天才は、極めて独自性の業績を示した人物を評価したり、年若いのに、あまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる。それが、歴史や社会に影響を残すに至ったレベルの人物を指すことが多い。(動物にも使用される場合がある)しかし、「○○の天才」といったように芸術やスポーツ等様々な分野に一見限定した用法もある。
天才の類似表現として、ギフテッド、神童、神に愛された人などがある。
出典:Wikipedia
でも、後天的に天才になることってないんですかね?
いやいや、全然あるんじゃないのかなと思ったのがこのやりとり。
なるはずないですよねぇ。
ネットで集客したいのに集客になるはずがないという話 – naoto kimura(木村直人) https://t.co/T6JPhWFSl3
— 木村直人 【air】 (@air_kimura) 2017年7月12日
天才がどうとかは直接的に関連しないんですが、きっかけはこの記事ですね。
これ、憧れる人多いと思うけど、絶対真似したらあかんやーつ。この感覚でマネタイズできるのは天才だけやから。 https://t.co/RSJQJx3qq2
— 服部慎也(Shinya Hattori) (@FACTDEAL) 2017年7月13日
まぁ、これは本当の話で、長期スパンで「なんかビジネスのきっかけになったら良いな」くらいに考えてブログを書いているのであればOKなんですが、短期で成果を求めているのであれば、これ真似したらヤバイでしょっていう話で。
まず他に集客の入口つくってからやれよと。
ブログだけでなんとかしようと思っているのであれば、天才じゃない限り、戦略的に運営していかないといけないし、「好きなこととか書きたいこととかは稼いでから書けよ」と僕は思っているので。
みんな天才になればいいんですよ笑 https://t.co/CBjF9cETGa
— 木村直人 【air】 (@air_kimura) 2017年7月13日
で、それに対して「天才になればいい」っていうなかなか面白い返し。
らしいです。ということで、子どもの時から言いたいことはガンガンブログに書いていこう。子どもはみんな天才だからそのまま大人になれば良い♪ https://t.co/2Ko3hryQhs
— 服部慎也(Shinya Hattori) (@FACTDEAL) 2017年7月13日
とはいうものの、「大人になってから天才になるってどういうこと?」と思ったわけですが、実際に僕自身がブログを書いていて、「いや、ありえるなと」ということでつぶやきました。
確かに大人になってからでもブログを書くことで天才発揮できる可能性は高い。
— 服部慎也(Shinya Hattori) (@FACTDEAL) 2017年7月13日
クライアントやパートナーなど、僕の周りの人がそうなんですが、その人たちのブログ読んでいると「え?この人天才?」って思うことは多々あるわけで。
あるいは、「この人、知らん間に天才的なブログ書くようになったなー」とか。
案外気付いてないだけかもですからねぇ。
やってみたら案外ハマってた。みたいな?笑僕自身もそうだったのかもしれないのですが… https://t.co/zPfK6suCbd
— 木村直人 【air】 (@air_kimura) 2017年7月13日
それに対して、彼もそうっだったかもと。
難しいんでしょうけどねw
最近は妻が文章才能を見せはじめてインスタのフォロワーがクソ増えてましたねw
意外と自分ではわからないもんなんでしょうね。米ありがとうございます^_^
— 木村直人 【air】 (@air_kimura) 2017年7月13日
奥さんも天才発揮しているようで。
女性は子ども生んで子育てをすることで新しいスイッチ入りそうですね。
旦那さんが起業家や実業家のならなおさら。
主婦起業が多いのもそういうことかもしれませんね。
タイムラインで目に留まるタイトルだったもので、突発的に絡んですみません。
こちらこそありがとうございます!
— 服部慎也(Shinya Hattori) (@FACTDEAL) 2017年7月13日
きっかけがあれば後天的に天才になることは全然ありそうだなと。
天然の天才と人工の天才
上記のやりとりは、ブログを書くのに生まれつき持っている才能やセンスがいるのかという話ですが、そこから考えた「天才」についての僕の考え方についても少し。
今まで気づいていなかった自分の「天才に気づく」というパターンはよく聞きますが、これは先天的なものですよね。
イメージとしては、自分の脳の中にずった「天然の天才ゾーン」というのはあったんだけど、そこに行くには深くて大きいキャズムがあって、恐怖のあまり飛び越えようとも渡ろうともしていなかったと。
あるいは、渡れそうだけど、そのゾーンがベールに包まれていて不安だから、前まで行っては引き返すということを繰り返していると。
ただ、渡れそうな橋をゲットしたから、組み立てて架けて、ちょっとグラグラするけど勇気を出して渡ってみたら「天然の天才ゾーン」に入ることができたという感じでしょうか。
誰かに助言をもらったり、アドバイスをもらうことで一歩踏み出して、メキメキと才能を開花させていく人はこういう人ですよね。
いずれにせよ、「もともとあった」ということです。
一方で、何かを見たり聞いたり、新たな価値観に触れたり、特殊な経験したりすることによって、後天的に「天才になる」というパターンもありますよね。
こっちのイメージとしては、脳の中の「固定観念ゾーン」があって、ユートピア的でそれなりに過ごしやすいゾーンなんだけど、「自分がいる場所はここじゃねーな」と思ったことをきっかけに野焼きにして更地にすると。
そうすると、そこに新たなスペースができるので、その場所に自力で「人工の天才ゾーン」をつくる感じですね。
表面上は、単なる「努力の人」に見られそうなんですが、努力の人と明らかに違うのは、ムダなものは捨て去ってスペースをつくり、そこにどんどん「天才の素」を放り込んでいくということですね。
今までの経験や価値観を捨てられずに積み重ねていってもスペースも無いし、ゼロからつくるということもしないので、秀才は出来上がっても「人工の天才」は出来上がらないんですよ。
後天的な天才になるためには、やはり今までの価値観はぶっ壊さなければ難しいです。
人工の天才になって損はない
もともと「天然の天才」で、何かのきっかけでそれに気づいて、すでに天才を発揮してる人はもうそれで良いんですけど、まだそれに気づいてないのであれば、「人工の天才」になった方が良いですよ。
どうでも良い固定観念ゾーンを野焼きにしてぶっ壊して、シムシティみたいな感じで、そこに天才の畑や森、マンションを整えて天才ゾーンをつくっちゃえばいいだけですから。
別にそれであとから天然の天才に気づいたら、天才ゾーンが2つできるわけなので超強力なわけじゃないですか。
世の中に溢れかえっている「天然の天才」だけでずーっと来ている人より、かなり価値の高い人間になります。
ブログは2つの天才を手に入れられるツール
結論としては、後天的に天才になり、さらにどんどん天才になっていくきっかけになるのがブログですよ、という話ですが、多くの人が書く前に自己否定したり、書いてすぐ諦めたりします。
「もともと国語力ないし」
「プレゼンとか苦手だし」
「誰かに伝えられるものなんかないし」
といった感じで。
が、ブログは全く別物です。
誰かに書けと言われて書くものではないですし、ルールもないので、書けば書くほど、「人工の天才ゾーン」はどんどん開拓されていきます。
さらに言うと、ブログを書いていて少しでも反応が出てくるとそれは自信につながります。
で、この自信を持つということが重要なんですね。
なぜなら、自信というのは、「天然の天才ゾーン」にたどり着くための架け橋である可能性が高いからです。
ブログは「天然の天才」に気づき、さらに「人工の天才」を手に入れるということが同時にできる可能性が高いツールなんですよ。
30歳?
40歳?
60歳?
80歳?
関係ありません。
その気になればいつでも天才はつくれるんですよ。
そのために努力を惜しまない人は、「天然の天才」に気づこうが気づかまいが、「人工の天才」をいくつも手に入れているので、「天然の天才」を超えることができるということです。