僕の人生とビジネスの基盤となっている「狭くて深いマーケティング」において「人生経験が豊富」の定義は重要なポイントです。
なぜなら、行動範囲や見識が広いことが人生経験が豊富であるという風潮の世の中において、狭く深く物事を知ったり人つながったりというのは、人生経験が貧弱であることを意味する可能性が出てくるからです。
ただ、広く浅く物事を知り、人とつながることによって人生経験が豊富になるのかというとそうではないんですよね。
やはり人生の価値は広さや長さではなく質だと思うので。
もちろん、広く浅い生き方によって出会いやチャンスは増えますが、その出会いに価値を見出せるか、チャンスであることに気付けるかどうかは、やはりそれなりに狭くて深い生き方を踏襲し、自分だけの確固たる価値観を持っているかどうかにかかってくるんですね。
これはビジネスにおいても同じで、狭くて深いマーケティングによって地盤を固めるからこそ「広く浅く」の中から貴重な出会いやチャンスをピックアップできるようになります。
何者でもない人間が、インフルエンサーの見よう見まねで情弱を集客したりフォロワーをかき集めること、上に向かって人脈を集めようとすることがいかに愚かかということです。
プロを理解できるのはプロだけ
例えば、自分が何かしらの領域において、ほとんどの人が追いつけないくらいの成果を出していたとします。
何かしらのプロとして活動していたとしましょう。
もう少し具体的に示した方が良いと思うので、自分がプロとして活動しているギタリスト、とでもしますか。
プロのギタリストとして活動している中で、全くジャンルの違う人、例えば書道家と出会い、その人が書いている作品が素晴らしく、強く感銘を受けたとします。
このとき、今まで何も成し遂げていない人間と、何かしら追求して成果を出している人間とでは、同じ人、同じ作品に出会っても受け取り方は全く違ってくると思うんですね。
前者は「何となく凄いな」というのはわかるんですが、その書道の作品が出来上がるまでのプロセス(根底にあるマインドや努力、今のポジションにたどり着いた軌跡など)をイメージできません。
そうすると「凄いけど特に興味ないし」で素通りしてしまうでしょう。
一方で、プロのギタリストとして活動している人であれば、作品の価値は正しく判断できなかったとしても、そこに到達するまでのプロセスはわりと明確にイメージできます。
先ほども言いましたが、その人が積み重ねてきた努力や経験、挫折、磨かれていったセンスなどですね。
そうすると、作品の価値を正しく理解できなかったとしても、その書道家に話を聞いてみたいと思ったり、何か学べることはないかと学ぶ姿勢になったりして、自分の豊さはどんどん増えていくと。
このように、狭く深く一つのことを追求することによって、全く違うジャンルのモノや人の価値がおおよそわかるようになるし、だからこそわかったつもりになることがおこがましいと思えたりするわけです。
これは、広く浅く中途半端にインプットしている人には到達できない領域で。
例えば、人生経験を豊富にしたくて世界一周旅行をしたとしても、自分の中に確固たる何かがなければ、本来価値のある出会いもスルーしたり避けたりしますし、良い意味で価値観が崩壊することもありません。
経験増えますが「豊富」にはならないわけです。
狭くて深いマーケティング
狭くて深いマーケティングの本質はまさにここで、何も情報や人を無作為に遮断しようという考えではなく、ビジネスや人生をより豊かにするために、インプットするものや出会いを厳選していこうという考え方で。
そのために、正しく取捨選択する目を養わなければならないですし、その目を養うために何かしらの領域でプロと呼べるレベルにまで持っていかなければならないということです。
つまり「広く浅く」という戦略でチャンスを掴んでいけるのは「狭く深く」を経た人だけだということなんですね。
昨今のマーケティングにおいては、広く浅いマーケティングがトレンドになっているわけですが、販売者の商品や販売者自身のレベルが低い状態でその戦略を取っても、商品価値のわからない人が集まってくるだけです。
なぜなら、自分自身が商品価値やレベルをわかっていなければ、お客さんを選べないわけですから。
誰でも良いから、とりあえず数を売れば良いという状態でしかありません。
仮に商品価値がわかる人の目に止まったとしても「こういうお客さんに買ってほしいです」という信念もなければ、発信もできないのでスルーされて終わるだけです。
もし商品のレベルが低くても「こういう人に買って欲しい」という信念が明確にあって発信もガンガンしていれば「その商品ではお客さんのニーズは満たせませんよ」「もっとこうした方が良いですよ」と教えてくれる人が必ず現れるんですね。
それがクレームというカタチで入ってくるのか、アドバイスというカタチで届くのかは分かりませんが、いずれも商品のブラッシュアップには絶対に欠かせないものです。
なので、最初は狭く深くマーケティングをし、超ニッチでも良いので、お客さんのニーズを確実に満たせる「プロ」にならなければならないわけです。
プロというのは自分で名乗るものではなく、お客さんに求められることによって自然と呼ばれるものですから。
「狭く深く」と「ターゲットを絞る」の違い
マーケティングでよく言われる「ターゲットを絞る」というのは、ここをミスると最初は良くても後々誰もいなくなってしまいます。
例えば「このLP見て買う人いるの?」と目を疑うような古典的な情報商材屋のLPでもいまだに購入する人はいるんですが、一昔前と比べるとかなり減ったと思います。
というか、中高生の情報商材系インフルエンサーが増えたことによって、学生などの超若年層まで詐欺まがいの情報商材屋に搾取されるようになったので、ある意味早い段階でリテラシーが付いて、大人になってまで購入する人は激減していくでしょう。
もちろん、一時的な被害は否めませんが。
そういった背景も含め、最初はゴミのような商品をダイヤモンドだと勘違いして飛びついていたお客さんも、いずれはそれがゴミだということを理解するわけです。
基本的には賢くなっていくわけですし、先ほども言ったように、そのリテラシーは低年齢化していきます。
そうなってくると、いわゆる「情弱層」をターゲッティングしている人は、どう考えても未来がないんですね。
フォロワーを集めるのに必死な人や、稼ぎを前面に出しているような人、いわゆる「生き急いでいるような人」たちは、一発屋の芸人と同じようなもので、自分に未来がないことは予想しているんです。
だから毎日あんなに必死なわけです。
ターゲッティングはしているんですが、狭く深くという観点でお客さんを選んでいないということですね。
まぁ、これは個人で頭数を集められるようになってしまった弊害です。
逆からのアプローチは悪手
おそらく「まずは広く浅く集客をして、そこから絞っていけば良いんじゃないの?」と思う人もいるかもしれませんが、これは悪手です。
なぜなら、そもそも広く浅く集めてしまっている属性は、基本的には民度はあまり高くはないので、その中から狭めても深めようとしても、他人の性格を変えようとするくらい難しいことだからです。
むしろカオスになる可能性の方が高くなるんですね。
なぜなら、最初は「誰でもウェルカムです!」と言っていたのに、ある日突然「こういう人は来ないでください」って言っちゃうわけですから。
そりゃグチャグチャになりますよ。
恋愛に例えると「タイプとかないから」と付き合った恋人に「やっぱあなたタイプじゃないわ」と言っちゃうようなもんです。
また別の場所で再スタートするしかなくなるんですね。
そうなるくらいなら、最初から狭く深く集客して、お客さんのニーズや自分のやりたいことに合わせて属性を増やしていけば良いというわけです。
もし、現段階で「間違ったアプローチをしているかも」と思った人は修正をかけていった方が良いと思います。
まぁ、人生においては、広く浅くで良いからいろんなものを目にしたいというのは価値観の一つなので、それ自体は全く否定しません。
一度きりの人生、狭く深く生きていくのはもったいないという人もいるでしょうからね。
ただ、ビジネスにおいては、明確な目的や目標を持って戦略的に取り組まない限りリスクは大きくなりますし、後戻りできなくなってしまうので、その辺のことは理解した上で吟味してください。