どうも、服部です(ハットリって誰?)。
新しい事業や発信を始めようとすると、「まずはWHYから考えよう」「なぜそれをやるのかを明確にしよう」と言われます。
いわゆるWHY思考ですね。
もちろん、WHYは大事です。
なぜこの仕事をするのか。なぜ自分がやるのか。何のために売上を作るのか。ここが明確であれば、目先の数字や流行に振り回されにくくなります。
が、まだ何をやるかすら決まっていない人が、最初からWHYばかり掘ると、だいたい話がデカくなりすぎるんですよね。
なぜ働くのか。幸せになるため。自分にとって幸せとは何か。そもそも、なぜ生きるのか。
哲学として考えるのは勝手ですが、それで今日何を作り、誰に見せ、いくらで売るのかが決まるわけではありません。
事業を始めたいのに、人生の意味を探し始める。
そりゃ、始まりません。
新しいことを始めるとき、僕はWHAT、HOW、WHYの順番で考えます。
- まず、何をするのか。
- 次に、どうやって実現するのか。
- その上で、なぜそれを選ぶのか。
WHYを軽く扱うのではなく、何もしていない自分が頭の中だけで作ったWHYより、実際に動き、選び、失敗した後に残ったWHYの方が信用できるということです。
WHY思考を先行させると、他人の人生を借り始める
自分の中に材料がない状態でWHYを考えると、だいたい世の中でよく聞く言葉へ寄っていきます。
家族を大切にしたい。自由に生きたい。挑戦する人を応援したい。好きなことで誰かの役に立ちたい。
どれも立派ですし、別に間違ってはいません。
ただ、それだけでは誰のWHYなのか分からないんですよね。
家族を大切にするために、仕事を減らすのか。仕事の収益性を上げて、家族と面白い経験を増やすのか。子どものために自分の好奇心を諦めるのか、子どもに背中を見せるために挑戦し続けるのか。
同じ「家族を大切にする」でも、何を選び、何を捨てるかによって中身は全然違います。
選択がないWHYは、ただのきれいな言葉です。
しかも、まだ自分の選択をしていない人ほど、成功している誰かのWHYを借りやすいです。「自由」「仲間」「社会貢献」「次世代のため」といった言葉を並べて、本人はまだ何も始めていない。
理念だけ完成して、商品がない。お客さんもいない。売ったこともない。
順番がおかしいんですよ。
最初に決めるのは、今やりたいWHAT
最初から一生をかける仕事を決める必要はありません。
今、何をやりたいのか。誰の、どんな問題が気になるのか。何を見て「それ、違うんじゃないか」と思ったのか。まずは、そこからWHATを決めればいいです。
僕の場合も、最初から「狭くて深いマーケティング」という完成した思想があって、その通りに十数年動いてきたわけではありません。
たくさんのお客さんを集める働き方に違和感があった。相性の悪い人まで受け入れ、売上のために時間を切り売りする働き方がイヤだった。実際の仕事の中で、好きなお客さんと深く関わる方が成果も出るし、自分も楽しいと分かった。
そういった経験が積み重なって、今の考え方になっています。
先にあったのは、完璧なWHYではなく、「こっちはイヤだ」「こっちの方が面白い」というWHATなんですね。
好奇心にも、違和感にも賞味期限があります。
面白そうだと思ったときに動かず、「なぜ自分はこれをやるのか」を何か月も考えているうちに、熱は普通に冷めます。後から立派な理由が見つかっても、もう本人がやりたくなくなっている。
それでは意味がありません。
WHYが見つかるまで動かない人は、慎重なのではなく、動かない理由を高尚にしているだけです。
HOWは、WHATを現実にするためにある
WHATを決めたら、次にHOWを考えます。
誰に見せるのか。最初の商品をどう作るのか。いくらなら買ってもらえるのか。自分一人で提供できるのか。何を計測し、どこで続けるかやめるかを判断するのか。
「好きなことを仕事にする」「AIを使って事業を作る」「コミュニティを始める」と言うだけなら、ただの願望です。
現実の中でどう成立させるかを考え、実際に試すのがHOWなんですね。
ただし、HOWから入るのも違います。
「今はAIが稼げるらしい」「Xを伸ばせば売れるらしい」「サブスクなら安定するらしい」と、方法から事業を選ぶと、その方法が古くなった瞬間に自分も終わります。
何をしたいかは分からないけど、稼ぎ方だけ知りたい。
知らんがなです。
WHATのないHOWは、手段のコレクションでしかありません。新しいノウハウが出るたびに乗り換え続け、結局、自分が何者なのか分からなくなります。
WHYは、最後に「残ったもの」から作る
WHATを決め、HOWを試すと、必ず選択が発生します。
売上は増えるけど、嫌なお客さんも増える。効率はいいけど、自分が面白くない。フォロワーは増えるけど、仕事にはつながらない。家族との時間は守れるけど、守っているだけで人生に刺激がない。
そのとき、どちらを選ぶか。
売上と自由なら、どちらを優先するのか。広く知られることと、少数の人に深く信頼されることなら、どちらを選ぶのか。目の前のお客さんが間違っているとき、機嫌を取るのか、嫌われても伝えるのか。
こういった選択を繰り返すと、自分が何を捨てられて、何だけは捨てられないのかが見えてきます。
それがWHYです。
思想は、机に座って考えた立派な言葉から生まれるのではなく、現場で失敗し、人とぶつかり、損をして、それでも残した判断から生まれます。
なので、WHYは最初に作るスローガンというより、自分がしてきた選択を言葉にしたものなんですね。
実際に何も選んでいないのに、「自分の使命」を言語化しようとしても、そりゃ薄くなります。
生きてないんですから。
WHYは変わってもいい
一度決めたWHYは変えてはいけないと思っている人もいますが、経験が増えれば、目的が変わるのは普通です。
僕も以前は、仕事に人生を奪われず、家族との時間や自分の人生を守ることを重視していましたし、今もそれは大事です。
ただ、今の僕にとって、守れていることはゴールではなく、できていて当たり前の最低条件になりました。
今は、家族や仲間と刺激的な人生を送り、面白そうだと思った瞬間に、お金や時間や仕事を理由にスルーせず動ける状態を作る。そのために事業をしています。
十数年前とWHYが変わったのではなく、実際に動いた結果、次のWHYが見えたということです。
昔の理由へ無理やり自分を縛りつける必要はありません。
変わっていないように見せるために、今の好奇心を殺す方が不自然ですからね。
WHAT、HOW、WHYは一度決めて終わりではない
WHAT、HOW、WHYの順番は、一直線ではありません。
WHATを決める。HOWを試す。WHYが見える。そのWHYを基準に、WHATを変える。新しいHOWを試す。その経験によって、WHYがさらに深くなる。
この繰り返しです。
大事なのは、最初から完璧な理由を作ることではなく、自分の好奇心や違和感を、小さくても現実へ出すことです。
動けば、上手くいかない理由が分かります。誰と仕事をしたいのかも、何をやりたくないのかも分かります。何を失ってでも続けたいのかも見えてきます。
WHYは、その後で十分です。
というか、その後でなければ、自分のWHYにはならないんですよ。
「なぜやるのか」が分からないから動けないのではありません。
動いていないから、「なぜやるのか」がいつまでも自分の言葉にならないだけです。
僕のWHYが今どう変わり、事業の判断へどうつながっているかは、「狭くて深いマーケティング」とは何か(2026年版・再定義)にまとめています。























