こんにちは、服部(@marketing_factdeal)です。
人は誰しも、自己価値を見失い、苦しむときがあると思います。
特に、社会に出た瞬間、家庭内や学校で評価されてきたことや、培われてきた価値観とのギャップに、自分の価値がないように感じることは少なくありません。
これは、最近よく謳われるようになった「叱らない」「褒めて伸ばす」「無条件で肯定する」といった教育の弊害が原因である可能性も高いんですね。
むしろ、「叱らないいつも穏やかな親であるべき」「それこそが良い親だ」みたいな進行や風潮には疑問を感じます。
それって子どもためなんじゃなくて、親がそうありたいだけで、子どもの将来のことをあまり考えていないんじゃないかなと。
親として、子どもに愛情を伝え、どんなときでも肯定してあげることは大事ですが、早い段階で子どもが自分自身の社会的価値を認識できるように、マーケティングの教育をすることも同じくらい重要なんです。
なぜなら、早い段階で市場にさらされることで、自分の人生において、自分自身をマーケティングするという能力を身につけていくことにもつながっていくからです。
家庭内評価と社会的評価のギャップ
子どももバカではないので、自分の価値が家庭内に留まってるものなのか、それとも社会で価値があるものなのかくらいはわかります(気づきます)。
たとえば、家ではめちゃくちゃ褒められるけど、同じことを外でしても誰にも何も褒められない、フルシカトされ、何なら「そんなのできて当たり前だよ」と言われて「え?そうなん?」となったりするわけです。
家庭で褒められることは安心感や自己肯定感を育てますし、それは間違いありません。
が、一方で、外で同じことをしても誰も評価してくれなかったり、期待に応えられない場面に直面すると、そのギャップに苦しむことになるんですね。
このギャップこそが、自分の価値を見誤る原因となり、やがて精神的に追い詰められる要因にもなり得るわけです。
なぜなら、家庭内での称賛は、ときとして真実を隠してしまうこともあるからです。
たとえば、「凄いよ」「良いよ」と言われ続けて育った子どもは、ずっと褒めて認めてくれる親に依存し続け、いざ社会に出てフラットに評価される状況になって、初めて自分の価値のなさに気づいて愕然とするわけです。
親が、どれだけ手放しで褒めて育てることが危険か理解できますよね。
このようにして成長した人は、過保護な親の評価を基準に生き続け、社会の評価に耐えられずに自己価値を見失ってしまうんです。
社会の中での価値を見極める力
自己肯定感が低い人の多くは、親から十分な愛情を受けていなかったからとよく言われますが、実際には、過保護な環境で育ち、親から社会の評価を誤魔化されていたケースも多かったりするんですね。
社会で自分がどれほどの価値を持つのか、そのことを知る機会を奪われたまま育つことで、自らの価値を客観視する力を失ってしまうんです。
実際、過去に起業のお手伝いをしていたとき、そういう人はけっこういました。
完璧主義なのか、自己肯定感が低いのか知りませんが、ずっと準備中だったり、市場に自分の商品やサービスを一向に出そうとしない人、市場やお客さん、同業に評価されるのを恐れる人。
で、いざ市場に出したら、一回無反応なくらいで「自分はダメなんだ」「センスないんだ」「こんなはずじゃない」と自己嫌悪に陥るんですね。
こういったように、一度でも評価が得られなかった経験から、「自分には価値がない」と思い込んでしまい、再び行動できなくなるケースは少なくありません。
親の役割と子どもの自己認識の支援
親の役割というのは、ただ褒めるだけではないですよね。
子どもを、早い段階から社会の評価にさらし、然るべきタイミングで自分の現在地を知る機会を与えることが重要なんです。
その際、当然ながら必ずギャップに苦しむわけなので、「今のキミはその位置にいるけど、努力や成長次第で変わっていくよ」ということ、人それぞれ持ってる才能や努力の背景が違うという視点を伝えることが必要で。
そうやって、一緒にギャップを埋める作業を進めていくことが、子どもが自己評価を正しく認識し、成長を後押しするということですね。
社会の評価に支えられた成長
僕がずっと続けている音楽、そしてマーケティングの仕事はまさにそうで、親から褒めらたことも認められたこともないですが、社会が評価してくれたから、ずっと続けられているんです。
親が理解してないので、関与しなかっただけという一面もありますが。
ちなみに、ここでいう評価というのは、誰かと比べて勝つとか負けるとかではなく、自分が好きなこと、得意なことをがんばっていたら、喜んでくれたり幸せになってくれたりする人がいるかどうかということです。
これが「親に褒められたい」から「社会での自分の価値」につながっていく背景でもあります。
自己評価を客観視する力を養う
最終的に重要なのは、自己評価を客観視する力を養うことなんですが、客観視するためには客観視されるという経験が必要です。
自分が見えていない部分を知ったり、自己評価と他者評価のギャップに目を向けるためには必要なことですし、それが早ければ早いほど客観の目は養われるからです。
これができれば、社会の評価に怯えることなく、自分の価値をしっかりと見つめ直せるようになるんですね。
親の愛情と社会的な評価のバランスを保ち、子どもが健全な自己認識を持つことができれば、精神的に強く、健やかな大人へと成長していくはずです。
少なくとも、自分のことを誰かと比べ「自分は無価値だ」と嘆く人になることはないでしょう。