65歳で起業して大成功を収めたKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)のカーネル・サンダースが例に出され「何かを始めるのに遅すぎることはない」と言われることがよくあります。
が、このことについて勘違いしてる人がけっこう多いんですよね。
この言葉の本質というのは「今、何かをやろうと思ったときに年齢を言い訳にするな」ということであって「何歳になってもできるから今やらなくても良い」ということではないわけです。
要するに「今やりたい」と思ったり「今やらなければ」と思ったら、やるべきタイミングは今であって、先の未来ではないということなんですね。
論理的にも「今」でなければならない理由はたくさんあります。
世の中には「ありのままで」「自分のペースで」「ゆっくりでいい」といったファンタジーなコンセプトの商品やコミュニティが溢れていますが、場合によってはそんなことを言っていては手遅れになってしまうということです。
現実は「遅いものは遅い」ということですね。
不確実な命
よく「老後の楽しみに取っておく」と言う人がいますが、今の時代において時間とお金に余裕がある老後を送ることができる人がどのくらいいるのかという話です。
もっと言うと、1年後、あるいは明日生きている保証があるのかと。
独り身ならまだしも、家族がいる場合だと誰かがいなくなったら「楽しみ」は成り立たなくなる可能性も大いにあるわけですからね。
かといって、毎日夢と希望をポケットに詰め込んで、それらを実現すべく全力で生きるのはなかなかハードです。
なので、これは他の記事でも書きましたが、半年後に自分の命、あるいは大事な人の命が失われる想定で「今やりたいこと」「今やるべきこと」をやるというのがベターです。
余命6ヶ月くらいの感覚で生きるのが一番良いんだろうな。
明日死んだらみたいな息苦しい生き方はしたくないし、かといってあと何十年も生きれると思って余裕ぶっこいてるヒマはないし。
6ヶ月生きられたらまた次の6ヶ月をしっかり生きるみたいな。そんな人生の充実度が理想。難しいけど。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) September 16, 2021
ちなみに、この考え方は下記の書籍から参考にさせていただきました。
若くして多くの人の死に立ち会っている納棺師さんの本なんですが、今を大事にすることがどれだけ大事かを痛感すると思うので、良かったら読んでみてください。
衰え続ける気力と体力
当たり前ですが、歳を重ねることによって気力も体力も衰えていきます。
確かに歳を重ねても気力も体力も衰えない(ように見える)人もいますが、自分よりだいぶ年上なのに若々しさを保っている人は、他の人よりも圧倒的に努力しているだけの話ですからね。
あるいは多くの凄まじい経験を積んできているか。
特に気力は重要で、確かに何かを始めることは何歳になっても可能ですが、それを続けるには集中力や理解力、やる気といった気力が必要になります。
運動にしても、全盛期ではなくなった自分の体の動きや自由が利かないストレスを受け入れたり、自分の限界かどこかを知る必要があるので、けっこうメンタルを強く保っていなければならないわけです。
何もせずにボーっと生きてしなければ脳機能も低下していきますからね。
歳を重ねてから何かを始めるというのはそういうことですし、気力はそれ以前から養われてきたものなので、一朝一夕ではどうにもなりません。
ちなみに、僕はもう40歳を超えていますが、体力や筋力、気力に関しては、普通に生活しているだけでは現状維持ですら難しいなと思っていて、もっと高みを目指そうと負荷をかけてやっと現状を保てるなと感じています。
老いに抗うかどうかは個々の自由ですが、とりあえず今よりも悪くならないために、健康にはそこそこストイックにならなければならない歳だなと。
年齢特有の魅力
10代には10代の、20代には20代の、30代には30代の、それぞれの年代特有の魅力やエネルギーがあります。
政界や一部の老害がトップに君臨できる世界を除いて、世の中の時代の流れやトレンドのほとんどは、そのあたりの年齢の人にためにあるわけですから。
エネルギーが溢れている状態で追い風も吹いているというタイミングは、人生においてそう多くありませんし、歳を重ねていくといずれかが欠けている状態が常になります。
エネルギーは保っているけど、時代やトレンドに求められていないという場合か、時代やトレンドには乗れているけどエネルギーが追いつかないといった場合ですね。
非情ですが、世の中というのはそんなもんです。
一世を風靡した人も今や…という光景をよく見ると思いますが、それはやはりエネルギーを失っているか、時代やトレンドの中でかつての魅力を発揮できなくなっているからです。
その時にしか乗れない波があり、その時にしか魅せられないものがあるということですね。
もちろん、いろんな経験をしてきた50代、60代だからこそ作ることができるものや感じることができるものはありますし、人生の終盤に差し掛かっている70代、80代だからこそ語り継げることはあります。
が、やはり感受性やアイデア、好奇心、行動力という部分においては、メインストリートにいる人たちには敵わないのです。
減り続ける出会い
歳を重ねると自分の外側の状況も変わっていきます。
なぜなら、エネルギーや魅力が溢れていて時代の流れに乗れていないと、若い人やクリエイティブな人との交流や出会いがなくなるからです。
そうすると生きた(旬の)情報が入ってこないので、結果として心身ともにどんどん衰えていくという負のスパイラルに突入します。
僕は今42歳ですが、20代の人にTwitterをフォローしてもらったり、オンラインサロンに入ってもらったり、コンサルを依頼してもらったりという状況はまだ何とか保っていますが、けっこうギリだと思っていて。
50代、60代になっても20代の人と情報交換ができるようにするにはかなりの努力が必要になるというのは容易に想像がつきますし、今の僕の年齢で20代の人との接点がなくなったら黄色信号、30代の人との接点すらなくなったら赤信号だなと。
年配の人が優秀であるという時代ではないわけですし、特にITやオンラインの世界では若い人の方が圧倒的に分があるわけですしね。
子どもがいるとまた違ってくるのかもしれませんが、そこについていけるかどうか、子どもから学べるかどうかはけっこう重要なことだなと思います。
むしろ、子どもからトレンドを学ぶどころか、家族を養うことに精一杯で、世の中のトレンドを追うことや自分を磨くことをあきらめてしまっている人もたくさんいますしね。
社会的制限
こちらも外的要因になりますが、歳を重ねることで社会から容赦なくシャットアウトされていきますし、選択肢も減っていきます。
就職や転職なんかがわかりやすいですし、婚活から車の運転まで、年齢によってどんどん区分けされていきます。
自分でコントロールするのはほぼ不可能な部分なので、その分先延ばしにすればするほど、気がつけば四方八方に敷居が立っていて動くことが困難になっていくわけです。
お金も時間もない状態においては、これほどキツい状況はないでしょうね。
といったように、先延ばしにして良い理由なんて一つもありませんし、年齢を言い訳にして諦めることでどんな悲惨な未来が待っているかは火を見るよりも明らかです。
思い立った今が一番若いということを肝に銘じておきましょう。